映画“アース”(吹替)を観た。
(http://earth.gyao.jp/ 画面)
ドライかもしれないけど、こう思う。
太陽からの距離が奇跡。
地軸の傾きが奇跡。
気候の変化と生命の誕生が奇跡。
46億年が丸ごと奇跡。
(現象)
ここ数十年、奇跡の星が気候の変化で、“温暖化”してる。
(原因)
しかもこの気候変化はどうやらヒト科の生き物が原因らしい。
(対象)
このヒト科の“お行儀”を何とかしろ、と。
こんな文脈(注:映画の文脈ではない)じゃ、まるで子沢山でヒステリックなママのキッチンからのがなり声と変わらない。
“おとなしくしなさーいっ”
もしもこの星の全生命の危機なら、もっと真剣にヤろう。
自動車を作ることを止めよう。
戦闘機を飛ばすのを止めよう。製造から使用にあたってCO2を排出するすべてのプロダクトの製造と販売を止めよう。
化石燃料の生産と使用を止めよう。
止めることができないなら、別の対処を創造しよう。
住めそうな別の星探すのもいい。
宇宙ステーションもいい。
大気圏外に通風パイプ通して冷却装置創ってみるのもいい。
スタンダードに植林だっていい。
いっそ、太陽からの距離チョットズラしてしまう方法でも構わない。
宇宙のレギュラーが正しい。
曲がんない側が常にルール。
それを、“なんとか生物が生存できるように曲げよう”という試みの話をしている。
“こんなにヒドい現象”というのも、“なんとかしよう”という虚しいかけ声も、“ゾウタンやチロクマがかわいそぉー”も、ゴチソウサマ。
段階としては既に、具体的提案が待たれて久しいのだから。
そして、それは必ずしも市民にとってストイックなスタイルとは限らない。
人類への自責の念(部類によっては他責の人もいるだろうが)である必要はない。
むしろ情緒的な煽りはリスクだ。
別の切り口だが、心の面について、こうも思う。
?分の一の確率で誕生した生命の星は、宇宙時間でほんの一瞬イレギュラーに光って、次の瞬間に待っているのは、絶対に漆黒のレギュラー。
あれもこれも信じれば救われる式な思考と、他のもの奪い取ってでも豊さを手に入れる傲慢さが、巡り巡って星をダメにした。
絶望としてでなく、世と命のコトワリ(理)を知る聡明さも、科学の内部には必要。
ということで、映画“アース”。
この星のホメオスタシスに関するメカニズムを知らないなら、観て損はないと思う。
もしも既に知っているなら、次のアクションに注力するだけでいい。
作品には関係ないけど、ワーナー・マイカル・シネマ、久しぶり。