『クリエイティブ・クラスの世紀』リチャード・フロリダ(著)井口典夫(訳) を読了しました。

私的な解釈で、非常に端的に云ってのけますと、

世界中の才能ある人材は流動しています。
米国は911のテロの影響もあり、人材流入にナイーブかつ怠慢になっています。
こんなことを続けていては、海外の才能ある移民の流入減少と米国内の人材流出によって、米国経済は衰退し、世界各国の才能ある人材にとってもやは魅力的な国でなくなってしまう。そういうことが危惧されます。
また、著者が想定するクリエイティブ経済における競争では、米のような大国である必要は無く、数多くのクリエイティブに意識の高い社会(国、都市)の全てがライバルとなりえます。
こういった事態への米国における最適な対処が、才能ある人材の目を米国へ向けさせ続けることではないでしょうか。
そのための施策として、『クリエイティブ社会』というものの構築を推奨します。

ということになるのではないでしょうか。

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本書どんなヒトに読んでほしいか。
訳者井口典夫さんが指摘する通り、ビジネスマン、中央省庁の官僚、国会議員、官民のトップエグゼクティブということになると思われます。
しかしながら、著者の視点からとなると、書中第9章『クリエイティブ時代に向けた課題』に記されている通り、この手のこと、クリエイティブ時代に向けた社会の構築、については、官僚、政治家なんかのトップダウンによる指揮、管理は”いけない”となります。
米政府と日本政府とでは、またその性質を異にするので何とも云えません。
が、クリエイティブ社会の構築という点については、米国よりも日本の方がトップダウンによる変革は難しそうに思えますね。
いずれにしても、得票数や既得権益と格闘している場合ではございません。

少し話が飛びますが、そういえば、先日に『ハイコンセプト -「新しいこと」を考えだす人の時代- 』読了で、ちょっとした読書感想文(書評)を描いたわけですが、『ハイコンセプト〜』と今回の『クリエイティブ・クラスの世紀』の内容は、その指し示す方角が近いのではないでしょうか。
語弊を恐れずに云うなら、『ハイコンセプト〜』では、途上国の急進とテクノロジの成長でルーチン・ワークが駆逐される。さて右脳の時代だ、となります。一方『クリエイティブ〜』では、人的な知的財産の流動(特に流出)により、米国国内経済・文化的なリーダー的地位の将来性が危うくなる。人的資産の時代だ、となります。
前者『ハイ〜』がより現在進行のビジネスよりなのに対して、後者『クリエイティブ〜』は将来性を見据えた学会よりの切り口なのだろうなと、勝手に理解しました。

実はMubzさんも、学部卒業後の進路として修士課程を選び、その将来が大手広告代理店だというメッセージに失望して中途退学し、違う道を選んだ口です。
従いまして、おおむね本書の指摘には合意しますし、こういった世界観が妥当なものであってほしいと希求したりします。

ビバッ! 文化開発社会 + ガレージ!

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