今日は喫茶店で “バッツーン” とやられてしまいました。
『礼儀』ということについて想いを馳せる出来事です。

簡潔に云ってしまいますと、”素行の悪い女性”に遭遇してしまったわけです。


そして、偶然にもその女性は”相対的に太った方に属する女性”でもあったわけです。

はい、くれぐれも。
女性は少しくらいふっくらしているほうが健康的とおもっています。
男女とに関わらず、例外的な状況を除いて、常に礼儀正しくあるべきとおもっています。
喫茶店で席をシェアする事にほとんど常に寛容です。
あと、これから紹介する”素行の悪さ”の他に、彼女が10回中2,3回はドリンクさえもオーダーせずに灰皿だけをテーブルに置いて、友人とタバコを吸っているシーンを目の当たりにしていることも添えておきます。

さて本題です。
“相対的に太った方に属する女性”かつ”素行の悪い女性”の彼女は、マブさんの向かいの空いている席を、『断り』『会釈』『アイコンタクト』どれも無しで引き寄せ、図々しさに過ぎたやり方で我がものにした向かいの席に、やはり我がもの顔で後追いでやってきた友人を仕切り、座らせました。「あーた、ここすわんなさいヨ」ってなもんです。

古谷実氏の描くブサイク女子を実写化したような眼前の情景に、怒りを通り越して考え込んでしまいました。
『礼儀』というものはなんでしょうか?

たったいまgoo辞書で調べたところによると、

社会の秩序を保ち、他人との交際を全うするために、人としてふみ行うべき作法。礼節。

となります。
社会生活において、何か特別に言葉なんかで説明すること無く、自己と他者の存在と安全を互いに認め合う作法、具体的には身振りや表情によるコミュニケーションといったものではないか、と思われます。
ですので、特に言葉で明言する必要は全くありません。言葉が欲しいというのでは全くありません。
例えば、エレベータで誰かと乗り合わせたとき軽く会釈する、だとか。
例えば、夜道ですれ違うときに危害を加えるような人間ではありませんよという意味でアイコンタクトする、だとか。

が、今回の出来事。
そういったことは一切無く(まぁ実際には席を引き寄せられ、座らされた友人の方が会釈したことで、やっと流すことが出来たわけですが)率直に”ムカッ”ときます。「君は何様だ?」という心情にかられます。イヤな気持ちです。

ここからが、この話のウラの核心となるわけです。
礼儀を失した態度を取られた後の、事を預かり受けてしまったコチラ側の心情について、です。
一般的なオトナであれば行動や発言について自制をすることは可能ですし、当然です。
上で「君は何様だ?」と描いていますが、実際に心中にある単語は、「君は」なんていうキレイめの”語”でないことは、皆さんも想像に難くないでしょう。個人の心に浮かぶ “語” は誰しも禁じることはできません。

“この○タ、このデ○、この○トッチョ。”

えー、まことに残念ではありますが、不愉快を預かり受けた身としては、どうしても相手を罵倒するためのフレーズがいくつも浮かびます。
がしかし、いくらアタマにきているにせよ、”身体的特徴” はイケません。断じてイケません。これを心の外側へ出しては、ヤツと同レベルです。はい。
それでもなお、心は暴走します。身体的特徴 “以外” を探しさまよいます。
“じゃ、なんだっ。” “ぁーーーんとぉー、ぁれだっ!”

“このポンチョ!”(心の心:” おー、はまったー!”)

そう。そうなんですね。
“相対的に太った方に属する女性” かつ “素行の悪い女性” な彼女は、偶然にもそして不幸にもすっぽりとポンチョを装着していました。
そもそも何故、彼女はそんな不可思議なことを試みたのでしょうか。ツイードのポンチョです。わかりません。どうしてだって構いません。
ともかくご存知のとおり、ポンチョは身体的な特徴ではありません。
しかしながら “相対的に太った方に属する女性” かつ “素行が悪い女性” が着用したとき、その着衣の呼称は甚だしくレバレッジ(梃子)が効きます。(このレバレッジ効能については男性も同様と想います)

礼儀を身につけると、男性も女性も、他者や共同体と良好な関係を構築し維持することが可能になります。
反対にその育ちを疑われるような振る舞いは、自分自身もそれを見ているあるいは関わらざるを得ない他人も、ネガティブな気持ちにさせてしまいます。
それだけでなく、(言葉や行動という)カタチとしてあからさまなモノに至らないまでも、他者の胸中でメソクソにヤジられてしまうことになります。これでは、(当の本人の汚名などは二の次として)育ててくれたご両親やご家族の名誉さえも傷つけかねません。
それは、社会を構成する全員にとって決して幸せなことではありません。

『礼儀』を身につけましょう。他者が攻撃的にならざるをえない、そんな行為を慎みましょう。
KYとかチャラいことを云って、暇を潰している場合ではありません。

で、今回の話をまとめますと、
男女問わず、ポンチョの着用には細心の注意と素行への自信が必要です。
エレガントにポンチョを着こなすことができれば、本人も、その家族も、周囲の他人も、皆が幸せになります。
また容姿にまつわる罵詈雑言を胸中に浮かべてはもみ消すような厄介なストレスも、言葉の暴力(もしくは実際の暴力)が実行されるリスクも解消されます。

くれぐれもポンチョを着こなせるオトナでありたい、そう想う週末です。