free culture book
ここ数年、デジタル、インターネットをめぐる法律関連の問題や制度確立が騒がしいですね。
新しいインフラまたはツールとしてインターネットが当然のものとなって随分経ち、いよいよ対応の「実施」が急がれているんだろうな、と勝手に憶測しています。

そんな中で、特に目に留まるのは二つの争点。未成年者保護。もうひとつには著作権保護。
トピック的には、未成年者保護関連でいうと『アダルトサイト』『プロフ』『自殺サイト』『フィルタリング(機能)』。著作権の方では、『ファイル共有ソフト』『P2P』『コピーワンス』その後『ダビング10』そして『ISPによる通信規制対応』など、いろいろ。

規制の実施や逮捕などと体制がいよいよ動き始めた中、なんか良く判んないながらも、このままボケっとスルーもできそうにない気配を感じているヒトも大勢いるのではないでしょうか。
僕はこれを機会に著作権について少し知っておこうと想い、やっぱり遅ればせなんですが、比較的判りやすそうだったローレンス・レッシグの “FREE CULTURE”(2004) を手に取りました。


通読して、判ってる”風”だった著作権または権利そのもののことについて、もう一歩認識を進めることができました。
まず、著作権は(作者に認められる)権利なんですね。
そして作者個人に認められる権利って、「公の利便」を阻害するような行使が認められないんですね。当然です。
もうひとつ。
法律っていうのは、ヒトの生活を豊かで快適にするための共通のルール、道具といっていいかもしれないですね。
なので、大勢のヒト、個人、食い合いになっている権利、また権利の不足分などを見渡して、「調整」を行い、社会全体の “バランス” を最適に保つため法律があるともいえます。
ということは、時代や状況の変化(たとえばITとかの社会的インフラの変化)に応じて、率先して(法律は)変わってゆかなければならないんですね。
今の状況を想像できなかった過去の法律に支配されて生きてゆくのは大変におかしな話でもあります。

教えられた、というと大袈裟で、でもはっきり言ってもらえてスッキリするという感じです。

本書の中で、著者からのメッセージとして非常に明快な箇所がありました。
たまたまですが、すこし「ナイロビの蜂」を想起させるストーリーでもあります。紹介して引用します。

企業(製薬会社)や政府(アメリカ)による知的財産の保全の務めと(アフリカで)AIDSにより多数の死者が出ていることとの間に起こっている目に見えない問題を例として、”知的財産が神聖不可侵のものでない” ということに関する次のようなクダリがありました。

さて一歩下がって考えてみよう。今から三十年後に、子供たちがいまのわれわれを振り返ってこう尋ねるだろう:こんなことを見過ごしたの?直接的なコストは千五百万から三千万人のアフリカ人の死を早めることで、唯一のまともな便益といえばある概念の「神聖さ」を保持するだけ、というよな政策をのさばらせたの?これほど多くの死者を出す政策について、どんな正当化ができるというんだろう。こんな抽象理念のためにこんな大人数を死なせるという狂気の正体はなんなの? (FREE CULTURE 304)

また、この次のページには、こんなクダリもあります。

単純なアイデアがわれわれの目をくらませ、そしてその暗闇の中で、見ればほとんど誰でも却下するようなことがいろいろ起きている。知識の分野での財産という概念をわれわれはあまりに無批判に受け入れてしまうので、知識が無いために死にゆく人々に対して知識を渡さないことがいかに化け物じみているかさえ気がつかない。(FREE CULTURE 305)

あくまで原則としてですが、大勢の人の便益、まして文化や果ては命に対して個人の財産に関する権利が優先するのが難しいというのは相当納得できますよね。
もちろん長い歴史をかけて獲得した人権を安易に侵害するのも相当大問題でもあるわけですが。

憲法や法律の専門家の方々、とくに著作権に関する造詣が深い方からすると、また違う目線、角度、そして理由があったりして、必ずしもではないかもしれません。

で、著者レッシグは従来の出版の世界からインターネットに移行する現在の対応に関する “一つのアイデア” として、作者自身が作品の利用に関する範囲などを明示できるクリエイティブ・コモンズ・ライセンスの活用を挙げています。

映像データや音楽データのP2P共有について、企業、団体など経済の面を動機とした権利保護ばっかりが叫ばれるケースばかりが目につく中、全く反対に、作者が自主的にソースを解放している例がコレ。
「むしろダウンロードしてくれ、友達にもこのアルバムDLを紹介してくれ、音源のクオリティも選んでくれ」という相当潔いアーティストがnine inch nails。

アルバム “the slip”
作者 nine inch nails

もちろん、どういう風に権利を行使するかは人それぞれですが、このケース、相当クールで解ってる度高いです。はい。

そしてもう一つの、クールな事例がこの”FREE CULTURE”。本書です。
洋書ではありますが、ネットにフリーで公開しちゃってます。(pdf)

==Free Culture==
PDFファイル

よしっ、レッシグ。解ってる度高いです。はい。
僕は本買ったけどね。英語読めないしね。読んだ後でPDF知ったしね。
でも大事なのは心意気ということで。

著作権、とくにその複製や共有、を巡ってインターネットにおける “被害” を唱えているのは『著作物の著作者』ではなかったりするかもしれませんね、ということで。

僕もcc(クリエイティブ・コモンズ)で、コードを生成して、このブログの左下の方にくっつけてみました。
主体的な意思表示として、ccでソース生成できるバナー、つけてみてはどうですか?

関連リンク
ローレンス・レッシグ(wikipedia)

フリーカルチャー いかに巨大メディアが法をつかって創造性や文化をコントロールするか(amazon)

Free Culture: The Nature And Future Of Creativity (amazon)

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伊藤譲一
知的財産基本法(平成14年法律第122号)
著作権法(昭和四十五年五月六日法律第四十八号)