インターネットはいかに知の秩序を変えるか? -デジタルの無秩序がもつ力-
デビッド・ワインバガー(著)柏野零(訳)
読んだ。
んー。
読み終えた感想として、内容そのものの有意義性とは関係なく、編集がひどく『冗長』。
冗長とは「くだくだしく長いこと。無駄が多くだらだら長いさま。」(from goo辞書)
そう。なんかよくわからないんですが、長いし、くどいし、説明の重複が大変多いし、それでいて結論がボヤボヤ。
まして今後について読者に示唆するものなど望むべくもない。
単に現時点で既に実現されているインターネット・テクノロジを活用すると知の体系とはこういう(taggingを中心とした)索引機能を持ちます、というだけ。
もう少し説明すると、全334ページ中、195ページ目までがインターネットと直接には関係しない記述のラッシュ。
アリストテレスとか、グーテンベルグとか、デューイとか、紙のスペース、棚のスペース、図書館のレイアウトなんかの話。
195ページ目までは図書館情報学について云々しているばかりで、インターネットの知の秩序についてはほとんど触れられていない。
また、その後についても、インターネットではあるが、タグ付けを中心としたここしばらくのトレンドに終始。
ウィキペディア、ウィキペディア、ブリタニカ、ウィキペディア、digg、amazon、フォークソノミ、YouTube、flickr、iTunes。
全体的にちょっと前感。
本書、日本では2008年3月初版ですからね。
インターネットの登場で、知の体系が「そんなような構造 (ツリー構造とか、ツリー構造の限度とか、固い葉っぱがどうとか )」をとっているという主張の内容について、同意はするんだけれども。
フツーの事すぎるというか。ナンかアレです。
自分で tag付けたことがあるヒトにとっては甚だフツーな内容。
『タグ』を説明するのに、「断片化する知識」「メンデレーエフ」「国連経済社会事務局」「アイゼンハワー大統領」「アインシュタイン」なんて語が登場する強い意味は全く感じ取れない。気取ったたとえ話ばっかりで、かえって主張の内容をぼかして、結果として事をややこしくしている。
強いて、「バーナーズ・リー」と「セマンティック・ウェブ」くらいは判るけど。
「人間には前にヘソがある」なんてフレーズでないと読者へ伝えられないメッセージっていったいぜんたいなんなんだ? 妙に頭にのこっちゃって仕方が無い。
が、とにかく(少なくともタイトルの「インターネット」と「知の秩序」の関係について知りたい読者にとっては、過去の図書館情報学のクダリなんか、カンゼンにムダとは言わないけど相当)冗長。かつ、表現もっというなら言い回しにムダが多い。
当該のムダなクダリを省いてしまうと、全体を1/5くらいに圧縮できたんではないかと思うくらいに。
『インターネットはいかに知の秩序を変えるか?』=a1.タギング、a2.固い葉っぱ、みたいな。
みたいな、じゃないよ。まったく。
でも、まじめにそんな感じで、みなさんに本書を勧めることができるかどうか、また誰に読んでほしい本なのか、そんな判断ができない始末でした。
全く本意ではないんだけど、めずらしく酷評してみたりします。
はじめまして。
知の秩序は複数・無数のレイヤーによって、同時に存在する。それがインターネットです。
しかし、佐々木俊尚氏の「フラット革命」や、ゴールドバーグの「フラット化する世界」のように、複数の価値観を認めない。
しかし、量の時代から、質の時代になったとき、秩序というのは価値観であり、それは参加する個の数だけ存在することを誰も考慮しない。
一度、私のブログに遊びにきてください。
スポンタ中村 さん
はじめまして。コメント、ありがとうございます。
本書で扱われているテーマに準じてその趣旨を思い起こしてみると、
現実世界では物理的制約を受けて1つの秩序しか存在し得なかった。これがインターネットという仮想空間では、無数の個人に内在する無数の秩序を再構築もしくは個人に対して最適化して提示することが可能なのだ、というような情報整理学の視点に近い内容だったように記憶しています。
知=インターネット上のデータ、秩序=価値観として捉えるのであれば、
スポンタ中村 さんが指摘するとおり、個人における知の秩序(価値観)は多様性が認められた社会であることに越したことはないですね。実際、仮想空間の特性を活用して「知の秩序」のパーソナライズ技術はその方向に向かっているようにも思われます。素晴らしいことですね。
他方、「フラット化する世界」にも触れられていますが、「フラット化〜」が「複数の価値観を認めない」という部分についてはちょっと測りかねました。「フラット化〜」は、インターネットと経済の関連がもたらす未来の予想図みたいな内容ですよね。インターネットによる経済社会の変貌、競争の高度化と、そういった世界で身につけておいた方が良いと(筆者が)考えるリテラシーに関する内容だったように記憶しています。
もしかすると、純粋な情報整理以外の何かしらの要因(政治的、経済的、他)が介在することで個々人の価値観が偏向することを危惧されているのかもしれませんね。カンゼンに憶測ですが。
「スポンタ通信2.2」拝見しました。
また、よろしくおねがいします。
リプライありがとうございます。
お互いの興味の対象が同じようで、嬉しいです。
フラット化、秩序、オーダー、それらは、私にとって、既存のステータスの専制を継ごうとするものたちの言論と思えてなりません。
というのも、セマンテックウェブに関してですが、たしかにそうだけど、問題は、オブジェクト指向とでもいうのでしょうか。セマンテック(意味)だけではなく、価値も同様に考えなければならない。そして、そのようなことによって、オーソライズ(統合)が始まる。
秩序(オーダー)というと、コンテンツの一切の加工性を捨象している。そんな感じがしてならないのです。(池田信夫氏は、「カラマゾフの兄弟」に言及しているけども、その要約を提示できるのは、インターネットの大きな特徴…。人類史上不朽の名作といえども、最後まで読んだ人が少ないのなら、増長の批判はぬぐいきれない…)
そして、インターネットで一番足りないものは何かといえば、それは、インテグレートなのではないでしょうか。
おじゃましました。
非専制的な社会としてインターネットが維持され、善良なコモンセンスに照らしながらインテグレーションが進行されると良いですよね。
こちらこそ、ありがとうございました。