自分の集中力に不安を覚えること、ありませんか?
考え事がエンドレスなループにはまったり、インターネットしながらテレビの音(声)聞いていたり、本を読んでいたいのに近くの席のヒトの携帯電話の内容が気になって仕方なかったり。あと、ひとどいときはテレビ見てたハズなのに、自分でも気がつかないうちに、焦点がズレてて全く観てはいないなんてことも・・。
集中している “状態” については割にイメージを持ちやすくて、一つの事と一対一で対峙していて、自分の持ってる能力が最大限に発揮できているような、そんな感じですよね。多分。
ところで集中 “する” ってのは、いったいどいういう行為なんですかね?
『ある一つの物事にできる限り多くの認知的リソースを割く(ように努める)こと』のようにイメージしてます。
裏返すと『一時に複数のことに配慮をしない(ように努める)こと』とも言えそうです。
意識をすることが必要なのと同時に、意識をしないことも必要とはナニゴトか?
また、集中 “しなさい” っていわれることは(多々)あっても、そのやりかたを教えてくれたヒトはいないというのも不思議ですよね。
そんなモヤモヤをちょっとは解消してくれそうで、手にした本がコレ。
最強の集中術
ルーシー・ジョー・パラディーノ (著), 森田 由美 (翻訳)
著者は、心理学(特に認知心理学)の視点から、感情、思考、行動の大きく3つの断面を設定し、各断面毎に集中に必要な準備、構え、方法を提示しています。
感情に関する章では、不安解消や緊張のコントロール、感情を司る前頭葉について。
思考に関する章では、モチベーション維持のための考え方について。
行動の章では、睡眠、刺激物の摂取、趣味や交友の効果などについて。
集中できる環境を自分に対して用意しよう。そのために自分を知ろう。セルフコントロールをしよう。そんなようなメッセージで全体にごもっともな内容なんです。たとえば、携帯電話に出ないとか、タスクの重複を巧く断るとか、自分に自信を持つようにしむけるとか。
が、集中にまつわるフレームを仮に、(1)集中への道程、(2)集中の個別方法、そして(3)集中状態の持続と解除、として考えた場合には、(2)に偏り気味なキライがある気がします。
とかく、情報社会、組織的なしがらみの中では実践を困難にするままならない事情が無数にあります。
簡単にいうと、メールチェックを午前に済ませる(その後は見ない)という段取りは集中には理想的なんだろうけど、これを実践するための社内・外への段取りは相当ハードル高い、というか個人的対処に限度があるハズですよね。
そういう意味では、基礎研究のエリアを脱し切れていないガイド本といった部分が散見され、タイトルにある『術』というには実践性が乏しいかな、と思います。
しかしながら、知覚と認知と感情とが地続きであることはシックリきますし、脳の活動を状況に応じて最適にしたいという願いは変わりません。
私見ですが、例えばプロスポーツ選手の世界や、ヨーガの世界なんかは、集中による(なんらかの)効果の最大化へ向けて万事お膳立てがなされる世界なんではないかと思えてきます。最高のパフォーマンスや理想の境地への到達というのは、どうやら内在している心理的、精神的能力の使い方とものすごく密接な関係があるのは事実らしく感じ取れますし、やっぱり、これはどうしても気になる。
そしてそういった集中力の発現や発揮そして持続は、金銭的な豊かさとはもっと別の、ものすごくリッチな環境 −個体としての限度から逆算して過剰な刺激(外因にあたる情報やモノ、内因にあたる思考や緊張、ほか)から身を遠ざけるとか− を自分に対して用意してやる事だという点について違和感は全く感じません。
前に書いた通り、この現実社会で(特に一般の勤め人が)どうやって環境を獲得するかは相当に難問ではありますが。
なので、本書の内容は tips的にはポジティブに捉えることができますし、可能なだけ実践してみたいです。
生活するためや夢を達成するためには、誰もが長期短期の視点で複数個の目的や、タスクのバリエーションを持つことはやむを得ませんが、自分の処理容量をわきまえずに持ちきれない程多くのものを望んでしまうとあまり良いことにならない、ということでしょうか。
目的をシンプルにすること、手続きを単純なものにすること、完璧な結果や全てを望まないこと、自分の認知処理の限界をわきまえること、自分の心身を労りよく休んでよく楽しむこと。
アレレ。けっきょく抽象的な話で終わってしまいますね。なんだかナ。
関連リンク
Lucy Jo Palladino webサイト