iPhoneについては発売前も、発売後も、マスコミ報道も、ネット上も、総合的には若干ネガティブなコメントに傾いていた気がする。そして発売後1ヶ月弱経って、今はあまり何も聴かなくなった。急だな、なんか。
こっちはこっちで、しばらく使ってみてだいぶ生活に入り込んできた。ようやく。しばらく使ってどうかというと、結局『あ、こりゃやっぱケータイと同じ土俵で優劣を考えるタイプには向かないワ』という感想。
勝手な解釈を許してもらえるなら、iPhoenは『通話機能(おまけ)付きのちっさいインターネット・wi-fi端末』。wi-fi対応ミニノートPC とケータイの中間くらいに位置づけできて、ケータイの側よりもPCの側に寄ったモノ。なまじ『Phone』を名乗っていることも手伝ってケータイと比較してしまいがちだけど、位置づけを鮮明に持っていないと買った後で後悔しちゃうんじゃないかな、と。
どういうことかというと、色々説明しなくてはいけなくなって、ちょっとメンドクサイ。が、世の中良く出来ていて、言いたいポイントを上手くおさえたコラムがあった。
PC Watch内のコラム、本田雅一の週刊Mobile通信『第418回 不満を抱えながらもiPhoneから離れられない理由』
書き出しは、こう。
iPhoneに関する議論をさまざまな場面で見かける。多くはiPhoneの熱狂的なファンと、その良さを理解できない携帯ユーザーという構図だが、大抵は議論がうまく噛み合わない。おそらく同じように携帯電話の1機種について議論しているつもりでも、両者が見ているiPhoneは異なって見えているのだろう。噛み合わないのも当然だ。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0722/mobile418.htm
「iPhoneの熱狂的なファンと」の部分はいかがかと思うけど、全体としては言い得て妙。
ワープロだと思っていたものがパソコンでなくちゃとなるというのは、ぱっと見では似てる(タイプライター付きの箱)けど、その目的や意味は全然違うもの(タイプか計算機か)ってことと置き換えられる。
で、携帯電話とiPhoneも同様なんだな、と。目的が自分の生活圏でのインフラ(おサイフやワンセグ)を利用して快適に過ごすコトとメールや通話などでの特定の対象者との対話が目的な場合にはケータイが優れている。けどもしもインターネットを生活の小脇に(新たに)据えてwebサービスが提供できる範囲の機能を普段に持ち込むコトと大量の情報と向き合って処理するコトを目的にするならiPhoneの方が今のところ理想に近いんだとおもう。
移動中に登録50件くらいのRSSを斜め読みして、4件のアカウントのメールチェックを済ませて、Evernoteで原稿共有して、猫みつけたら写真とって、近くのお茶屋さんをGPSで探して、(僕は巧くいってないけど)wordpress for iPhoneでブログ更新して、iViewでtumblrのreblogして、それでも時間が空くならyoutube見て、どーしょーもなくなったら TapTap revolution の対戦をツレにふっかける、と。
これが「価値か?」「目的か?」はたまた「快適か?」と問われると、hummm…となる。むしろやることが増えて煩わしいかもしれない。実際、新たに産まれてくる「なんのこっちゃ?」っていう物事(Appとかwebサービスとか)を生活の一部に取り入れて消化したり、切り捨てたり、再構築してゆく気概と時間とお金(とiPhoneのバッテリー)が必要になる。でもケータイでは出来なかったことが出来るようになったのも事実。
そんなようなプロセスごと楽しめるなら、iPhoneを悪くないと感じるとおもう。
反対に、既に獲得した利便性に価値の重きを置くなら、既にかなり高次元で「便利」を提供しているサービス(ケータイ)を選ぶのがいい。
そんなこんなで、ケータイかiPhoneかとか?とかいう議論はそれ自体が罠っぽい。
そもそも普段の生活でフリーメールやrssとかのwebサービスを多用していますか?とか、それらのwebサービスを屋外に持ち出したいですか?とか、それを膝の上でなく手のひらで使いたいですか?とか、そういうことを吟味して買うのがオススメ。誰にオススメなのかもよくわからんケド。
でも心配なのが、コンピュータ(iTunes 7.7動作)が自宅にないけどショップに買いに来るオジサンとかってゼロじゃないんじゃないかな、って。気をつけて、オジサン。