ようやく『崖の上のポニョ』を観てきた。
崖の上のポニョ webサイト
映画「崖の上のポニョ」公式サイト
評ってワケではないけど、ボクは観て良かったなぁ、と思えた。
映画を見終わって帰宅後、幾つかの映画評に関するサイトを見たりした。本作品への評論はどうやら賛否が分かれていてことのほか賑わっているようで楽しい。

『賛』の側では、

おばあちゃん=宮崎監督の母親のイメージだ、とか。アニメーションが全編手書きだ、とかで評価が高い。反対に『否』の側ではストーリーの理解に苦しむとか。声優が棒読みとか。ポニョは金魚には見えないとか。主人公の男の子宗介が両親を下の名前で呼び捨てにしているのはどうなのか?(けしからん)とか。
(大方の場合、そうなっちゃうんだろうと想うけど)『否』の側の切り口がやっぱり断然面白いナ。
作品の好き嫌い、善し悪し、あとジブリらしいか否かとか、大勢のヒトが様々な切り口で観て感じてることを知るにつけてオモシロい。

けど個人的には、映画の善し悪しを何でもって判断するか(評として何で斬るか)に固執して観てしまうと(今回ばっかりは)ほとんど確実に『旨味』みたいなところからお遠ざかってゆく作りになってるんじゃないかと想う。見終わった後「何っ?この映画。本当にジブリ?」となるという。(知らないケド)

ストーリー展開に惹き込まれるとか、主人公の心情に同化するとか、通常ありそうな定番の映画の観方(視点?)ってありそうに思うんだけど、今回はそれの別バージョンを提示されたみたいに感じた。どういうことかというと、

なにもかも全部が『安心』。それに100分間浸ればイイだけ。

もうちょっというと。
例えば、都心部で生活していて、仕事や残業や給料や人間関係なんかのストレスに疲れきっていて、理解者も無く孤独で、世間に対する不信感の知覚過敏みたいになっちゃってるけど、もうそれが過敏なのかどうかも自分じゃ判んなくなって、なんとなくで『普通』として受け入れて、でも別の側面で発散すべくまったくもってクレイジーな世の中の理解の仕方や個人的な思想、趣味の世界に内向したりしながら、どんどんズレてって、それでも生きている、何かをしようとしているヒト、なんかにとってはとにかく『安心な100分間』ではないかな、と思う。
この安心「感」にただただ没頭すればいい。

ボクは予備知識も製作の背景もなんにも持たずに観たし、この後も詳しい知識を蓄えて分析してく気もない。
やや端折った言い方だけど、単に次のような物語を観てきたつもりでいる。

お父さんがあまり家にいなくてもなんとかなる。
お母さんが街のみんなとの普段の生活を上手くやる。
お母さんが疲れていたら子供が支えになる。
子供が危機になったらばあちゃんが助ける。
やりたい事があったらやってみる。
子供が変な子(半魚人)連れてきても周囲のヒトは普通に受け入れる。
自分が変な子(半魚人)でも好きと言ってもらえる。
5歳の人間の女の子が他人の家に引き取られる。後のことなんか知らない(けど上手くいくだろう)。

ややこしくない。ことさらに思考を巡らせて伏線の発見とか物語の先読みなんかする必要は全然無い。浸れるように出来ている。
とにかく、全部がヒトとヒトとの間での受け入れ合いで、最終的にはチャントなんとかなるハズ。だから普通じゃなくても(平凡でも)心配いらない。萎縮してないで感じた事をそのまんまさらけ出して、判ってもらえばそれでいい。そんな風に(一時的にでも)思える時間とスペース(装置といっても良いし、お薬といっても良いかもしれない。)を用意された感じ。

作品の内容の解説で宮崎 駿監督の署名つきで、はっきりこう書いてるしね。
崖の上のポニョ webサイト

我儘をつらぬき通す物語。
約束を守りぬく物語。

誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう。

神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。

映画「崖の上のポニョ」公式サイト|作品の内容の解説

そんなに全部許して受け入れてもらっちゃうと、オレ、涙腺ゆるむワ。なんつって。
そんなこんなで、ボクは観て良かったなぁ、と思えた。

そんで、ちゃんとした評論とか本作品の理解の仕方とか「ブリュンヒルデとは何か」みたいな難しい事は誰かさんに任せるとして、ボクが驚愕だった事。

声の出演「ポニョのいもうと達: 矢野顕子」という事実にほとんど誰も何も触れていないことなんだけども。アリ?

関連リンク
スタジオジブリ
『崖の上のぽにょ』公式サイト