急に思い立って、川崎生田緑地の脇にある岡本太郎美術館へ。
Taro Okamoto 太陽の塔 ピンバッジ
canon EOS30D*EF100mmF2
ボクは、アートの事はまったく知らないし、べつにそっちの世界についての知識なんか無くたって一向に構わないくらいの無関心ぶり。今後もたぶんそんな感じ。けど、今回ばっかりは今まで訪れなかった事を後悔する程度のインパクトはあった。
なので、どんなヒトだって、常設展示、企画展示の全体を通じて、感じ入るものはきっとあると思う。


ひとまず、順路の通り常設展示場を一周。

まず、なによりその作品の物量に圧倒される。
展示品は全部で何点あったんだろう。数えておけばよかった。美術館自体、過去に寄贈をされた作品点数は、1991年に352点、1993年に1427点ということになっているようだし、しかもおなじみ「太陽の塔」や巨大レリーフ「明日の神話」なんかの作品は当然本館には設置されていないので、今回観る事が出来た作品はほんとうにごく一握りということ。これは、まいった。

そして、次に驚くのが手掛けている作品のバリエーションがすごい
万博のあの巨大なモニュメントのことくらいはテレビでみた事あったし、あとレリーフ復元の件も同じくテレビで見かけたことがあった。ので、絵と立体をやることくらいは知っていた。実際に展示品をみていると、少なくとも油絵、陶器、彫刻、写真、建築(模型)くらいの範囲は手を出していた。あと、本の執筆もか。ホント果てしない。

先にふれた通り、岡本太郎美術館では常設展の他に企画展も併設されている。
常設展を一回りした後、この企画展示場へ。
ボクらが足を運んだ今回の企画は「岡本太郎が見た韓国 1964・1977」展。

’64 年、’77年当時、岡本太郎が訪れた朝鮮半島の民俗に関する、壷や衣服などの日用品、面やチャンスン、そしてスチール写真などが展示されていた。
ライフワーク的に、民俗や生活を探求していたんだと思われるその行為を見るにつけて、好奇心のサイズと精度に驚嘆

企画展示場内では、当時の(国内の)新聞への寄稿記事からの抜粋なんかが関連資料の小脇に掲示されていた。いくつもあるそれらの引用文の中、ことさらソレだけはメモを採るまで忘れないように何度もなんども諳(そら)んじたフレーズがある。もちろん諳んじるのは胸中だけだけど。そのせいで残りの展示品に対して疎かになったくらい。ソレがコレ。

『まことにひとりひとりがふくらんで、平気で生きている』

スチール写真を主とする資料を見る限りでは、決して豊かとは言えない当時の朝鮮半島の民俗、生活についてのコメントから抜粋された一文(と推察)。
ハッハーン、なるほど。ソコを見るか。そしてそう言うか。カンゼンにやっつけられた。

どれだけ巨大な好奇心で自らを豊かに養ったか、生涯に幾つの作品を創ったか。そして表現のためにどれだけの新しい技術へチャレンジしたか。自分を最大限に活用するインプットとアウトプットの有様が、あの「爆発だ!」一辺倒で(ボクに)理解されていたちょっと変わったオジサン岡本太郎のものかと、にわかには信じられないくらい聡明に感じられる。
ヒトが生きていること、その上で活動をすること。そのことの本当の価値の在処が見えていたんだね。そして自分を厳しく律して、岡本太郎を実現していったんだね。これもまた、もう常人では到達し得ない努力家なんではないかと想われる。

勝手な理解ではあるけれど、概ねそんなようなことをズバッと突きつけられた。最近怒られることはなくなったけど、久しぶりに怒られた後みたいな気分にさせられた。恥ずかしいと、悔しいと、もどかしいと、でも「みてろよ」的な奮い立たされる感じと。

一人ひとり、産まれたことに敬意を払え、そして生きてることを謳歌しろ、だ。

ということで、今後はちょくちょく足をのばすつもり。なので、お土産は上の写真の『太陽の塔』ピンバッジで。

関連リンク
川崎市 岡本太郎美術館
岡本太郎記念館

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