ハイエク 知識社会の自由主義 池田信夫著

池田信夫 さんの著書「ハイエク 知識社会の自由主義」を読みました。
恥ずかしながら、ノーベル経済学賞(1974)受賞者 ハイエクなる人物も知らなかったし、経済学についてもからっきしです。なので当然、ハイエク原著にあたった事などあるわけもなく、単に池田信夫さんのハイエクに関する言を信じながら読み進めたことになります。
(なので、残念ですがここでは経済学やハイエクに関する確証ある情報は書けません。)

で、主に経済学者という事になると思うんですが、ケインズを筆頭に様々な学者の思想と紐付け(もしくは対比)ながらハイエクを解説してくれるのは、ボクのような門外漢の理解を後押ししてくれたように思われ好感。まぁ、おそらくハイエクその人の思想の表層を舐めた程度なんでしょうけどね。

一通り読み終えて読後の感想に大きな割合を占めた疑問が、本書の位置づけについて。
カバーにある「内容紹介」では、ハイエクを「新しい社会秩序の羅針盤」として位置づけることにしたみたいなんですが、これが難しい。というか、相当回りくどい。

ハイエク が唱えたとする思想を著者が記するままに理解して、かつ、ボクなりにとっても端折って受け取る事を許されるならこんな感じ。

  • 自由の最大化について語ると、自由とはなんぞや(否定ではなく再定義)、となる。
  • 社会の最適化について語るとすると、社会は最適成長をたどるとは限らない(否定ではなく再定義)、となる。
  • より良い経済政策を問えば、なるべく市場のあるがままが良いと。。。

そんなようなニュアンス。当然、良い意味で。
ハイエクという人の立脚点がそこなんでしょうね。万年単位のフレームから人間社会における「自生的」なあらゆるものごとについて後発者としての自覚を持って謙虚に批評を加えている、という。そしてその示唆する社会理解についても感覚的に非常に共感します。
だけど肝心な点について、つまり、で、実際問題ナニするとより幸せになるの?という部分に関しては、ハイエクのそれが見えてこないと同時に、本書著者のそれもはクリアには見えてきませんでした。(まぁ、わざわざハイエクを出して来ているわけなので、ハイエク的なのが良いという着地しか考えられないとも思いますが。)

それで、著者は言う訳です。21世紀こそは、インターネットこそは、その自由と秩序のあり方に関してハイエク的でいこう、と。んー。で、実際問題ドウだといいの?

本書は、最終的に

われわれはハイエクほど素朴に自生的秩序の勝利を信じることはできないが、おそらくそれが成立するよう努力する以外に選択肢はないだろう。

という著者の相当かっこいい言葉で締めくくられるわけです。
が。時代毎、個体毎の幸福観にとらわれることなく秩序の方が自生、変化するのが社会なわけなので(たぶん)、そもそも自生的秩序に対して我々の努力はほとんど意味をなさないハズだろう、とも思う訳です。
強いて言葉にするなら、サイバースペースは既得権益者/既存権力の介入なしで力一杯放っておいてくれ、というのが著者の主張ということになりますか?

ようやくここで冒頭の方で難しいと感じた本書の位置づけに立ち返ります。
個人的にはサイバースペースについての心配よりも、現実社会においてとりざたされる反秩序的行動の方がよっぽどハイエクの思想と関連性を持っていそうな気配を感じました。振り込み詐欺、通り魔事件、年金問題、ポンスターペアレント、市場の荒廃、テロ、そして環境問題。旧来自生的秩序のほころびが加速度を持って増大していて、(それらが悪かどうかという危機意識を一旦離れて)実はそれらの動きは次の秩序への結節点でもありえそうだゾ、などと予感したりして、どうしてもそちらへの興味関心が(サイバースペースの権力と自由云々よりは)勝ってしまいます。

つまり、とても興味深く読んだのに、本書の位置づけを捉え違えたって事ですね。はい。
んー、難しい。

関連リンク
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