バラク・オバマの勝利演説にむやみやたらと感心しました。
あれは台本を書いたりリハーサルをしたりしてるものなんですかね? その場であれだけの演説が出来るのであれば大層なものです(んなわきゃない、か)。ちなみに、故赤塚不二夫氏へのタモリの弔辞も大層なものでした。

まずは、勝利演説の動画とテキスト全文を掲載しているサイトを紹介しておきます。
BBC NEWS | Full text: Obama’s victory speech

個人的には、米国史上初の黒人大統領である以上に、勝利演説そのものに甚だ感心しました。どう感心したかというと回りくどい言いかたになりますが、あのクラスの演説を国内で聞ける日はいつかやってくるのか? ということ。


自国に端を発する金融破綻 ? 大借金創出、さらにはよもや世界恐慌の直中での大統領選挙戦でした。政権交代を果たし、第44代大統領の座を得た、非常に若い(40 代)、黒人男性 が誕生してしまったワケです。オプションの多さがミラクル度高過ぎます。必要なときに、必要なヒトが、必要なポストに就く。オプションの数だけあった困難を越えて。「必然」に血肉を与えて造形したらこんな感じ? と思わせる勝利と勝利演説でした。その内容は、より大勢の期待と歓迎を集め、事を進める力を得ることを十二分に配慮した事始め的なものに仕上がっていて「ズレてなさ」を確信させてもくれます。

And to those Americans whose support I have yet to earn – I may not have won your vote tonight, but I hear your voices, I need your help, and I will be your president too.

BBC NEWS | Full text: Obama’s victory speech

こういうことをシレッと言えるヒトが彼の国のリーダーなんですね。政治家というよりはもはや革命家に近い印象です。(ホントはアメリカのマイノリティ代表かつ生き字引的存在として登場した 106 歳の Ann Nixon Cooper さんのクダリも引用したいんですけど、なにせ長い。)

かたやこの国。
彼の国で新リーダーが誕生したその少し前、前任者の辞任であいた穴を埋める格好で「マンガが好き」な新リーダーが誕生しました。
年内解散待望の声は先述の金融破綻のアオリに対する経済対策優先の都合によってなんとなく黙殺されました。
その後、総額 2 兆円の税金の運用方法について景気対策として「定額給付金」を世帯あたり12,000円ずつ支給するということが半決まりの恰好で発表されました。
この刺激策の決定プロセスはその後の批判の多さから推察すると、特段専門家による検証や、侃々諤々の議論や、対案との突き合わせなどを経ることなく、ただなんとなく決まっていったように見えます。
また、その実効性だけじゃなく実行性の点における不備も強い非難の的になります。給付金の給付方法(世帯所得との兼合い)については地方に任せる方向の色味を帯びてきました。中央が地方へ判断という仕事を「降ろす」行為すらも、なんとなく進んでゆきます。

さらにかたや。
この国の報道はというと、「非」庶民派の総理大臣を観察し続け「私たちの側」を理解できぬなら降りろと、その大方が給付対象外と目されるTVキャスターたちがバッシングに明け暮れる日々が続いています。
選挙によって選ばれた総理大臣でないことが原因か、その政策が精彩を欠くことが原因か、毛並みが良すぎることが原因か。「私たち庶民」とはいったい誰なのか。その辺の議論は置き去りになり、揚げ足をとり「引きずり降ろす」ことそのものが最大の関心事と化した恰好に映ります。(とはいえ誰かが張り付いて揚げ足をとるのは報道の重要な仕事の一端と思うので「日教組の強いところが学力が低い」やら「文民統制の不備」やら「産科医不足を医師のモラルとすり替え」やらの事実が明るみに出ることには(不快だけど)たいへん感謝)

彼の国の新リーダーによる眩いばかりの勝利演説と上記とのコントラストから感じさせられる点がひとつ。
強いてポジティブに捉えるなら、この国の政治は良い時期なのかもしれません。というよりも、今のところこの国には「本物の」政治家は必要ない、そういう時期とみるのが適切なように思えてきます。
政治という言葉が指し示す行為あるいは政治家という「生き方」に就く者の役割は、有権者の心中にある「政治に関する定義」とある程度相関していて、また、この点において未定義領域をもキチンと反映しているんではないかと思えてくる訳です。国家の存亡のためにというより再配分を目的とした「よりあい」文化の延長として政治の位置づけがあり、「生き方」というよりポストとして政治家という存在がある、といったニュアンスで。
今あるものの配分を調整することなら「よりあい」は悪くないパフォーマンスを発揮しそうに思えます。特に、誰かが勝手に決めてくれてなんとなくで事が進んでゆくのが望まれる場合には。が、この国がその目的を変える(といっても生き残り以外に国家の目的なんか無い気もしますが)決意が形成され始めたときには、どこからか本物の政治家が出現するんではないかと期待したい感じです。かなりいい加減なこと言ってますが、そのときがきたらオバマを越える演説を国内で聞きたいと思うんですね。

そんなようなこと全部引っ括めて、個の感情や知性を超えた範囲から見る事ができた場合には、メディアが報じる通り再配分のあり方に不平を唱え庶民感覚を備えた誰かさんが何かしらを満足いくようにやることを有権者が求めているのであれば、これは意外と健全によりあいという形式の政治が変わらないという点に反映されているのかもしれません、ナド。

野球観戦離れが久しいボクは、メジャーリーグと日本野球の違いは『新巨人の星』に学びました。欧米人が生きるために働くのに対し、日本人が働くために生きるという違いは 最初に『ふとし(The 3名様)』に、その次に吉越浩一郎さんに学びました。そして、日本の米国の政治に対する期待の違いについてはオバマから学びました。

イカーン。話広げすぎたー。

関連リンク
BBC NEWS | Full text: Obama’s victory speech
goo ニュース | オバマ次期米大統領の勝利演説・全文翻訳