昆虫研究家・脳科学研究家・解剖学者・作家 … あとなんだっけ? の養老孟司さん × 元国土交通省河川局長の竹村公太郎さんのコラボ著書、「本質を見抜く力 -環境・食料・エネルギ-」を読みました。
本質を見抜く力 -環境・食料・エネルギ-
養老孟司さん、1937年生まれ(71)ですよ。竹村公太郎さん、1945年生まれ(63)ですよ。翁(おきな)たち、何個目の人生だ? と冗談はさておき。
そもそも著者に対する評価自体が二分するんではないかと予測していますが、さらに本書では問題に対するアプローチの仕方そのものが「学際的」。この点において「好き・嫌い」が物凄く分かれるんではないかと思われます。

まずは、目次から章のタイトルを、以下に。

第1章 人類史は、エネルギー争奪史
第2章 温暖化対策に金をかけるな
第3章 少子化万歳! ー 小さいことが好きな日本人
第4章 「水争い」をする必要がない日本の役割
第5章 農業・漁業・林業 百年の計
第6章 日本の農業、本当の問題
第7章 いま、もっとも必要なのは「博物学」

養老孟司・竹村公太郎 『本質を見抜く力 -環境・食料・エネルギ-』 PHP研究所、2008年

ざっと章タイトル見ると判る通り、日本が直面している問題について、かなーりフトコロの深い議論が交わされます。議論というより、流暢な合気道の組み手を見ているような印象。

どれだけっ? っていうと、第6章のテーマ「日本の農業、本当の問題」の中で農地と食と移民受入れについて、こんなフレーズが出てきます。

神門: 移動の自由というのは、人間の自由の権利の中で一番大きなものではないでしょうか。いま世界の人口の八十%は途上国です。先進国にいる特権的な少数が一方的にルールを作って途上国にいる多数の人たちの自由を拘束するというのは、ベルリンの壁崩壊以前の共産圏に似た、歪なことです。途上国の人たちにも、移動の自由を認めるべきです。

養老孟司・竹村公太郎 『本質を見抜く力 -環境・食料・エネルギ-』 PHP研究所、2008年、204頁
ここで出て来ている神門(ごうど)さんは第6章のスペシャルゲストです。
そういうところから、問題解決というか問題探索に入るわけですね。
この、なるべく源流に遡って在り方についての見直しを図る、そういうアプローチが個人的には好みです。

科学者をはじめとする専門家たちの秀でた点というのは、この21世紀の現時点から、例えば卑弥呼が活躍した時代や、はたまたクフ王の時代、それにボクたちの脳が忘れてしまった「2足歩行はじめました」という時代に対して、その心理的な距離が普通の人と比べた場合にもっのすごく短いということでは無いだろうか? と想えてくる訳です。
もう少し誇張した表現を採るなら、今まさに原始宇宙から地球を眺めて生きていたり、あるいは素粒子のサイズになってこの物理空間を観察している、ということも言えるかもしれません。
さしづめ、養老孟司は、「昆虫」の食料となる植物、植物を育む地質、水、捕食者たる鳥や魚の生態をアプローチの起点にして、その「ムシ」の 視点(あるいは複眼)で人の世の道理を眺めてるのかなぁ、などということを勝手ながら読み取ります。
「昆虫」に限らず、胸中に何かを住まわせるということは、コレスナワチアイデアル、とはボクの言であります。(知るかっ)
「欲」に駆られたのかどうしちゃったのか、金融工学なんて錬金術の破綻に悲鳴を上げつつもやっぱり結局「激動ならそれはそれでウマ味アリっ!」となっている堂々巡りのヒトたち。「理(ことわり)」を理解しない狭量な前頭葉でもがいているヒトたち、とは多分永久にその会話はパラレルなんでしょう。

ボクらが生きている世界の大方が「概念」、もっというなら「信じ込み」によって価値付けされていて、その中でボクらが一人ひとりが競い合う格好で「一所懸命」に、これまた言い換えるなら「盲信的」になり、経済という土俵の上で価値を奪い合っています。そして奪取競争に明け暮れ、(大切なたいせつな)その人生を消耗しているのだけれど、「TV の作り方」同様に、土のこと、ムシのこと、民族の移動のこと、治水のこと、病にこと、アレもコレも「基盤」によって成り立っている事実、これらを忘れ去って、上面の概念の善し悪しの議論に終始してしまってますよね。既存の概念に合うからその新たな概念は正しい、という具合です。この思想方法が招く未来は「イイうちはイイ、ダメになる時は総崩れ」。
ヒトが築き上げることができる文化の範囲って所詮こんなもの、なのカネ? って気分すら漂います。再び、未来に同じ失敗を繰り返す。それは土台を忘れることによって引き起こされる。そんな文明の構築と崩壊の繰り返し。

専門家って、とくに知的専門家って、ゼネラリストを黙らせる快楽に溺れ、社会を全体視した場合には、意外と弊害になってきてる可能性あるのでは? とね、危惧ナドします。

だから、非専門家ということを恥じる事無く意見する翁の言説、本書の内容、には、とても前向きな姿勢を感じ取ることができます。率直に「好み」です。
そんな訳で、いま、もっとも必要なのは「博物学」というワケです。