コグレマサト×いしたにまさき著「ツイッター 140文字が世界を変える」を読みました。
twitter, book
世のことを学ぶべく本を物色しに立ち寄った神田の書店では、店の入り口付近で平積みになってました。いよいよもってキャズム越え…なのかしら。なんつって。


ボクは、仕事の関係から一応目を通しておかねばなるまいという想いで購入したのですが、そんなに急ぐ状況でもなかったので 1 週間程は寝かせ、夕べ一気に読みました。読了後の印象はというと、正直ほとんど何も残らなかった、です。
あまりに何も残らなかったせいで、twitter 本の販売機会を狙いすました感ばかりが浮き立つような気がしてしまって。そんなつもりじゃないんだろうけど、穿った見方して、ごめんなさい。って何故か申し訳ない気分です。ねじれすぎです。

本書の章立ては、第1章「日本におけるツイッターの歴史」、第2章「ツイッターとは何か?」、第3章「ツイッターを楽しむためには?」、第4章「ツイッターをビジネスで活用する」、第5章「ツイッターの今後」といったこととなっています。主体的にtwitter 関連で情報収集してきたヒトにとっては、twitter を巡る少し聞き飽きた事実、たとえば著名人の参加や企業による利用の振り返りなどが中心の話題といえるでしょうか。あるいは、twitter の使い方、おもしろがり方、はたまた 1,000 フォローしてからがようやく…云々のような tips みたいなことが主題かもしれません。
が、ともかくボクの胸中には何も残らなかったので、なんともはや。

仕方がないから個人的な twitter 観を。

ボクは、twitter が非常に気の利いた、優れたツールだと感じてます。足あとがどうのこうのとヘンテコリンな馴れ合いも無く、干渉されること無く気分よく使えて、フォローしようが、解除しようが、ブロックしようが(そしてすべて「されようが」も可)の勝手感が良い。

そして、本当に情報が早いです。RSSやメールや、いつかそのうちアクセスするかもしれない bookmark ツールバー内の webサイトとは違って、話題の(ボクへの)流入が、もうこれまでとは段違いです。実利と呼べるくらい助かってます。

それから、心から気になる身近な人物の元気な様子をウォッチするにはとっても重宝します。ボクは何人かの親しい知人に(ボクにとって愉快で便利だから)使ってくれと紹介したし、実際に応えてもらって楽しい思いもしました。皆あまり続かないみたいですけども。なんなら実家の親や国外にいる姉(とその旦那)にも使ってもらいたいくらい。まぁ、これも付き合ってもらえなそうな予感がするので、よしてますケド。いっそ、象印あたりが『(お湯を出すと)つぶやくポット』でも出してくれたらいいのに。「お茶なう #vital」とか言わしてね。「@ばあちゃん」言わしてね。スミマセン、脱線しました。

それから、ボクは「ヒウィッヒヒー」がどうだとか、フォローがたくさん欲しいだとか、つまり他所さんがどうやって楽しんでいるのかとかそういう類いにはめっぽう感心が無い。もっというとヒトサマのTLがどうなってるか、反対にボクのTLが唯一である、なんて、そんなことも、本当にどうでも良い。
それはそれで良くないのかもしれないけど、性格に合わないのかメンドクサイ。

興味関心はそんなことより、国際的、政治的、人道的なテーマについて、あるいはまさに世界中のあっちこっち今起こっている出来事について、国境を越えて民族を超えて、地球の表面にいる大勢が意見交換できてしまうその先の人と文化と社会の有様について。(まぁ、これはこれでtwitter 以前からそうなんですけども。twitter の手軽さが、そういうより人間的なことに意識を向けることを許すのかもしれません)

去る 09年6月頃のあるとき。何故か TL のアイコン画像のいくつかが緑色になってることに気がつきました。その現象について疑問に思ってネットを調べてみたところ、どうやらイラン大統領選挙絡みでの意思表示だった、それを知ることができたというのがあります。

そういった活動や活動の伝播で、直接政治が、国が、世の中が変わるわけじゃないけど(そしてボクには高いたかい言語の壁があるけど)、ひとまず世界ほぼ同時理解と、世界ほぼ同時意思表明までならば、現実的に可能なんだということですよね。

そういう個々人の情報摂取の仕方、メッセージの送り方、共感の示し方が twitter によって解放されてスタンダードとなった。そっから先… が、アレだ。「140文字が世界を変える」だわ。奇しくもコレ。

ボクはそういうことに興味があります。はい。

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