状況の捉え方ってのは、人によってかコンディションによってかはたまた心情によってか、本当に様々あるんだなと身に沁みた一日でした。

my diner and beer


今置かれた状況が自分にとってピンチなのかチャンスなのか、そういうことを見失ってはイケナイとおもうんです。ピンチの裏にチャンスが寝っ転がってて、チャンスと思って食いつくものの裏側にはピンチが手ぐすね引いて待っている。それでもって、大概の事がらをチャンスと見つつ、良いテンションでぬかりなく容赦なく取り組むのか、大概の事がらをピンチと見立てて、ネガティブ心理で自分のスペックを下げた状態で取り組むか。そーゆーとこが自分コントロールの為所なのかもしれないな、と思うわけです。
今現在ピンチと感じていることも長期的な視点からはチャンスだったり、今現在チャンスと思って浮かれていることも、将来からながめると「あの浮かれっぷりこそピンチ…」ってのだってあるでしょうよ、とそんな感じの簡単ぽいことなんですけどね。そんな、少なくとも言うだけなら簡単なことが、人間歴が浅いと、実感値を持って理解するには中々に難しいんだろうよ、と思うんです。

そんなときには、「まー、おちつけ。」となりますし、「おまえさん、それはピンチでなくチャンスというんだよ」というような話を試みるのですが、そのメッセージは実感値を伴って相手に伝わることは、ほぼ無い、ですね。残念なんだけど、こればっかりは仕方がない。
だもんで、結局、我が身を投じて運命共同体になるか、そもそもその状況ごとこちらで引っこ抜いて処理してしまうかというような対処がボクの採るオーソドックスな解決策だったりしますが、コッチからするとそれ自体が「チャンスを横取り」って感じて、なんとも居たたまれないんだから始末が悪いですよね。
でも、そんなことには関わりなく時間ばかりは本気で無情に過ぎてってしまうわけですから、手を打たないのが最大の失策なんて方便も思いつきながら、なんだかんだでボクにはチャンスなのでこれを機会にアレをコーしてみんなでハッピーになる企てを図るばかりです。

こんな日の夕食ったら、カサカサ感丸出しになったりもするし、こんな日の写真ったら、何だか色あせた感じになってしまったりするのでしょうかね、など。