頑張る、について。

辞書に載ってる語の説明では次のようになっています。

(1)あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。
「—・って店を持とう」
「負けるな、—・れ」
(2)自分の意見を強く押し通す。我を張る。
「ただ一人反対意見を述べて—・る」
(3)ある場所を占めて、動こうとしない。
「入口には守衛が—・っている」

goo辞書


語源については、同辞書ページで次の説明があります。

「我(が)に張る」または「眼(がん)張る」の転という。「頑張る」は当て字

ほーほーほー。
僕が感じるところでいうと、ギャンブル色が濃厚な言葉。ま、見たまんまなんですが「張る」という言い回しを使ってますからね。丁半博打の一方に張り続けている少しヤケになった状態が想われます。それから観戦しているヒトからしたらただの野次。本人からしたら一所懸命ってのが一番近い説明になるのかな。
この延長で解釈を拡大すると、今現在自分が身を投じた環境や状況、転じて身を投じた自分の判断を信じてまげず、なんとしてもそれに対して張り続けなさい、ってのが「頑張りなさい」ってこと。

スポーツや博打やそのほかの多くの勝負事が勝ち続けた先にある最も勝った状態(勝利、優勝)を目指すのなら、当然、張り続けることは最低限必須の条件。張り続ける先にしか勝利はないのだから、ある意味真実。
似た感じで、ひとたび社長業のように従業員や取引先や多数の利害関係者に対して責任ある立場に立つことへ張ってしまった(社長業を引き受けた)なら、やっぱり安易に降りられちゃ困る、張り続けてもらわないとイカンというのも、まあまあ真実。

いずれにしても頑張れだとか頑張るだとかの語には、不安を、苦痛を、困難を、勝算を乗り越えろ、ロジカルに考えた場合に如何ほど絶望的な条件でもね、ってニュアンスが漂うように感じられます。
それから、頑なに張り続けたのはオマエさんの勝手であって、オマエサンが潰れようが何であろうが、コッちゃ知らねーよ、ってフレーバーもフワッと香ります。
そこまでの前提をもって、所謂「頑張れー!」は応援と呼ぶのに相当するだろうか?と、なにかマゴつくのであります。

ボクは頑張る能力を備えているヒトのことへ尊敬と畏怖の念を持っているのですが、その反面残念なことに自身に頑張る才能がどうやら備わってないらしいという自覚もある。なので、自分好みの理がある方へとフラフラっとなりつづけます。
たまには皮算用しないで張らなくちゃいけないんですけども。

考えない練習
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