池田紀行著「キズナのマーケティング」を読みました。訳あって駆け足で。

企業内で、はたまたマーケティングの領域で、ソーシャルメディアとか、コンシュージェネレーテッドとか、エスエヌエスとかいわれはじめてから、だいぶ久しいこの頃。いわれ始めて以降、何かしらその理解が促進したのか、活用法が見出されたのか、向き合う姿勢が標準化したのかというと、ボク個人の周辺環境を見渡す限りは、残念な状況が持続しています。

ボク自身そういった物事について

関係各位から意見を求められたりする機会もありますが、ンマー!その足がかりがが見当たらないことみあたらないこと…と途方に暮れる場合が殆どです。力至らずスミマセンって感じです。無力感もなかなかに大きいです。たとえばの話「インターネット20年の歴史」みたいなところを手始めにして「当事者として使ってみてる。だうっ!!」ってとこまで、傍観者然としたみなさまを―彼らの知識と経験を―連れてくってことが上手くできたらいいんだけど。この範囲だけでも長大で、目眩がしてきます。

というような個人的背景の下、書店で見かけた本書に手を出してみました。本書は、企業におけるマーケティング活動とソーシャルメディアとの関係性についての内容と言っていいと想うんだけど、同種の著書の多くがそうであるように、ソーシャルメディアをなにか語ろうとすると、なにやら長大な人間のコミュニケーションの歩みに触れざるを得なくなってしまうように思えます。何故だろう。

人様の何故かは脇に置いとくとして、自分を顧みると、やっぱり(未熟な)ボク自身も得心し、関係者理解を得るべく状況の整理・説明をはじめようとすると他聞に漏れず長く、広く、多岐にわたり…となっちゃいます。
(1)ヒトが情報を言語化するところ、ヒトが情報を文字化するところ、ヒトが情報を書物化するところなんかの『情報のあしらい』みたいなものごとについて。(2)それから、印刷出版のこと、通信のこと、放送のこと、井戸端会議のことなんかの『伝達手法のあしらい』について。(3)加えて、ヒトと企業情報の行ったり来たりのことっていう『対話のあしらい』のことについて。あとは〜ほかは〜はなんだ…アレだ。えっと、なんかあんだろ。といった調子です。実際、ソーシャルメディアという謎の太陽を中心に、周辺衛星の成り立ちや軌道ことを説明しても、別に答えは出ないのではないかという不安も抱きはじめてるわけでもありますが。

と導入はそれくらいにして、如何にしてソーシャルメディアのことを他者へ説明するかという点について、こちら側が何を考えているかというよりも先に、まず先方が何を信じてるか、聞きたがっているかがあって、これがこちら側が話すことができる内容に大きく影響してくることが多い気がしています。「ブログなんて書いてるヒトってまだいるの?」とか、「SNSなんて使えないだろ」とか、「ツイッターは事故おこすんだろ」とかのインターネット懐疑派の方々に対峙する場合はこちらとしても割かし楽なんです。「(そりゃ、そういう姿勢ならば取り組んで成果がでるわけない、むしろネガティブな風評を産むんだから)止めときましょう」で済みます。が、なまじソーシャルメディアに期待を持ってしまっている方々を相手にする場合にこそ、説明の負荷が大きくなる印象があります。何故、負荷が高まるだろうかと考えるにつけ、大概の場合その答えは「自分が使った事ないものを(使ったことある体で)評論している問題」「自分が使ったことのないものの評価結果を聞けば自分が直ちにその良し悪しを理解できると信じすぎてる問題」「自分が使った事ないものだけど巷で評判なんだから結果がでるんだろと期待する問題」なんだろうと感じられます。一つ目を評論家問題、二つ目をフレームワーク問題、三つ目を今売れてます問題とでも命名しときましょうか。さらに、この三つに共通して横たわっている大々問題が「得はしたいが面倒くさいことはしたくない」という身も蓋もない根源的な欲求、要するにラクしたい問題なんではないだろうかしらと思えてくるわけです。

そして、それらは、もしかしたら時代性といえるのかもしれないな。そういうマトメも可能かもしれないと感じ始めています。その昔、固定電話(だけ)で仕事してて相手が留守たと「待つ」という仕事をしていたヒトタチ、その昔、夕べのドラマの話題で翌日仲間と盛り上がれたヒトタチ、その昔、新聞の報じる世界がこの世の出来事のほぼ全てだったヒトタチ ―時間や距離や体積の上限が認知量の上限設定で仕事してた意思決定権を備えたヒトタチ― の多くにとって、ハードウェア価格の下落、テクノロジの向上、サービスの多様化、そして広大な広がり(ユーザ)をもったインターネットのサービスユーザー達のことを考えるという行為は、そこはかとなくメンドクサイってことなんじゃないでしょうかね。平たく言うと「いちいち付き合ってられっか。オレではない誰かがやれよ。そして成功だけをオレに約束しろよ。」って想いがあるのかなってこと。仮にそうだとしたら、もうその時点で情報提供者/サービス提供者としてはアウト(ビジネスマンとか顧客側としてなら一概に間違いではないよ。念のため)なんだから潔く諦めるといいんだけど、そのカウンターパートとして「儲かる可能性」や「市場の拡大可能性」がチラついてしまってどうにも諦めがつかないんだろうなぁ。

当該の事柄に対して期待を膨らませるもよし、反対にネガティブな意見を社内へ流布するもよし。なのですが、結局ボクが言いたいのは、「アータがた、自分がこれから結論付ける(選びとるにせよ、実施しないにせよ)その事柄について、ちょっとは自分で調べるなり、体験してみるなり、普通の範囲の真摯な姿勢を取りなさいよ」って事に尽きます。ご当人方々がどんな飛び級をしたのかは知りませんが、自分自身が使ったこともない、調べたこともない、感じたこともない(ということはすなわち興味がない、が噂だけは耳に入っている)物事に対して、よくまぁ貴重な資源を投じるかどうかの惑い(もしくは期待)を抱えたものだと。

で、結局のところ物事と真剣に向き合う気がない方々へ向けて未知なる物事に横たわっている可能性や未来を説くという難儀の根源は、不幸にもメディアという名が割り当てらたというただそれだけの為に企業におけるその扱いがマーケティング部であるという信じ込みによるミスマッチなんではないかということをうっすらと感じ始めています。本当はマーケティングで語るべきことよりももっとずっと初等教育みたいな領域で ―たとえば自分がされて嫌な事は他人にしてはいけませんとか、飴をあげるって言われてもついていっちゃいけませんとか、やると決めたら最後まで諦めずに頑張りましょうとか、世の中には色々な考え方の他人がいるんですとか、そういう領域で― こそ語られてしかるべきことがあまりに多く含まれていそうで、その手の内容を目上の方々に説くというのは無礼極まりないが為、その難儀さも極まりないですねというようなことを感じてますってなことです。唐突にしめてスミマセンです。というか、自分の理解力と説明能力を棚にあげて好き勝手言いました。ゴメンナサイ。はい。

トライバルメディアハウスのサイトに本書の目次の掲載があったので、以下に転載。

はじめに
~ツイッターで商品がバンバン売れる? まぁまぁ、みなさん、ちょっと落ち着いて
第一章 ソーシャルメディアって何?
~広告が効かなくなった本当のワケ
第二章 そして本当のキズナづくりが始まった
~あなたに興味のない消費者に好きになってもらう方法
第三章 すべてを「自分だったら?」で考える
~ソーシャルメディアマーケティング戦略の策定ステップ【実践篇】
第四章 これだけは守りたいキズナづくりの13か条
~ソーシャルメディアマーケティングのガイドラインをつくろう
第五章 一番大きな壁は、実は社内にある
~始められない・続けられない社内リスクの回避・解決方法の10ステップ

特別インタビュー

マイクロソフトにソーシャルメディアマーケティングのバイブルができるまで
マイクロソフト株式会社 熊村剛輔氏

Z会がソーシャルな大学ポータルを始めたワケ
株式会社Z会 寺西隆行氏

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの考えるソーシャルメディアマーケティング
株式会社ユー・エス・ジェイ 大森研治氏

B2Bの環境先進企業が挑むソーシャルメディアを重視したコーポレートコミュニケーション
アミタホールディングス株式会社 熊野英介氏/松本剛氏

人々の感動が共有・共鳴・共振を生んだソニー “ハンディカム” 「Cam with me」キャンペーン
ソニーマーケティング株式会社 長島純氏

ブログマーケティングのお手本「カイタッチ・プロジェクト」
貝印株式会社 郷司功氏/遠藤加奈子氏

おわりに
~これから、真の人間マーケティングが始まる

http://www.tribalmedia.co.jp/kizuna_wom/index.html

ご興味ある方はどうぞ。

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