フルニエの流麗で気品のあるチェロに耳を傾けながら、青年は子どもの頃のことを思い出した。毎日近所の河に行って魚や泥鰌を釣っていた頃のことを。あの頃は何も考えなくてよかった、と彼は思った。ただそのまんま生きていればよかったんだ。生きている限り、俺はなにものかだった。自然にそうなっていたんだ。でもいつのまにかそうではなくなってしまっていた。生きることによって、俺はなにものでもなくなってしまった。そいつは変な話だよな。人ってのは生きるために生まれてくるんじゃないか。そうだろう?それなのに、生きれば生きるほど俺は中身を失っていって、ただの空っぽな人間になっていったみたいだ。そしてこの先さらに生きれば生きるほど、俺はますます空っぽで無価値な人間になっていくのかもしれない。そいつは間違ったことだ。そんな変な話はない。その流れをどこかで変えることはできるのだろうか?
「よう、おじさん」と青年はレジのところにいる店主に声をかけた。

村上春樹(2005)海辺のカフカ(下)217

浴槽に浸かりながら読んだ「海辺のカフカ(下)」からの一節です。
空っぽな人間にならぬようもがけばもがくだけ、空っぽで一向構わないと努めて過ごす大人たちとの距離は増々広がってゆくばかりであったりもしますから難しいものです。

奇遇にも、と同時に残念にも、今日はそういう一日でした。フー。




海辺のカフカ〈上〉