幅800pix の Webサイトがある場合に、これへ手入れを施すならば幅 1200pix (とかに。別に1,000でも900でも850でも可よ)拡げないと、手入れをする「意味がない」という意見に遭遇しまして。これが大分大きめの焼き肉の欠片が奥歯と奥歯の間に引っかかったような具合に、とてもじゃないけど気がかりなんです。

ええ解ってますよ。世の流れのことやモニターの高解像度化のことは。そういうことに認知を持ちつつでもあえてどんな論理構成がそのコメントの背後に成り立っているのか、が解らないのですね。
論理が読み取れないときに、僕はだいたい他のものになぞらえてできるだけ理解に努めるんだけど、今回の場合はさしずめこういう感じ。

Hammer 1 が存在する以上 Hammer 3 は意味がない。1車線の道路は工事をするなら2車線へ幅を拡げなくちゃ意味が無い。やや小さめのタブロイド誌は A 全へ変更しないと意味がない。15inch モニターのノートPCがあれば11 inch モニターのノートPCには意味が無い。そして、もちろん Webサイトの幅が 800pix の企業は 1200pixにしなくちゃ意味が無い。…フーム

解りっこあるもんか。

仮に、画面を三段に組むことによってファースト・ビューでより多くの情報の存在を報せたい的なメッセージなら(ボクにとってはくだらないけど)論理的にはトレースが可能そうです。また、画面の縦横比率が縦長から横長になることでブラウザー内のスクロールの量が減って、このことによってサイト利用者中の多数にとって幸せが訪れますというようなクダリなら論理としてはなんとか聞く価値も出てきそうに思えます(これも僕にとってはくだらないけども)。
だけど、800pix を 1,200pix にしないと刷新の「意味がない」つまり「放置しておくべきである」となるその理由というのに、ボクの拙い脳みそでは、何周してもたどり着かない。

もちろんしかるべき論理と理由を備えていってくれていると信じてるけど、仮にそういう論理が無いのだとしたら、なんと粗末なデザイン倫理(論理ではなく、ね)だろうか、と思うんです。落胆します。

幅が狭いということでどんな不便が誰に起っているのか、それは多数か少数か。そういったことを一定特定してそのうえで、最適な幅にした場合には、どんないいことが待ち受けているのか。なんにせよ、前向きで明るい未来についての建設的な話題が先に来てこその、と思うんですよね。否定から始まることなんか、ろくなことじゃないんじゃないかと思ってます。

というか。
30も中頃超えてこの話ての自体が、ライトな意味でつらい。もうどうでもいいや。わすれよう。


無能の人・日の戯れ (新潮文庫)