「ザッポスの奇跡(改訂版)~アマゾンが屈した史上最強の新経営戦略~」を読み終えました。

近頃、世の中がソーシャルネット・ワークづいてるせいか、身辺で話題に挙がる機会が相当あります。会話の途中せめて話の筋道くらいは見失わぬよう学習しとかなくてはいかんなあ、なんてわけで急いで手にした次第。最寄りの丸善にて、2010年12月発行の改訂版の方を見つけることができたので買ったその日にざっと読み終えました。読後の第一声としては「後悔」。もっと早くに読んどくんだったナ、と。

さてと。で、ザッポス。


http://www.nytimes.com/2011/07/11/business/media/from-zappos-an-unadorned-pitch-in-selling-clothes.html

ザッポスといえば偶然にも、すごく最近どこかのメディアで「靴以外の商品も扱ってるんだよ」のオンライン広告で話題を呼んでいるという記事を見かけました。元の記事を探してみたら上記の NewYorkTimesのウェブサイト記事に到達。ザッポスが婦人服をはじめるだとか言われてもザッポス自身を知らない人にとっては何のことやらというお話です。
ザッポスが何か、について説明することはボクには難しいけど本とWikipediaから少々ご紹介。アメリカネバダにあるザッポス。オンライン通販のザッポス。靴販売のザッポス。働きがいのある会社ザッポス。Amazonが欲しがったザッポス。靴以外もやるザッポス。ということで、なんとなくそのポジションは捉えることができるんではないかとおもいます。

で、このザッポスという会社が、何を大切に会社を興し、経営し、サクセスに至ったのかについて。それからそこで働く従業員のマインドに関することなどが書中纏められています。ザッポスでは、普通の会社と違う考え方とやり方とを大切にしていて、制度にまで昇華していて、それが彼らの成功の秘訣なんだよ、その秘訣はね…、ということだ大まかなメッセージになっています。

この秘訣に当たる内容というのは要約すると、顧客の為にサービスを提供しましょう、このための組織を目指しましょう、また組織を維持してゆくために独自の制度を設け企業文化を大切に育もうよという、この上なく尤もなこと。
一言でまとめると、常に利他的でありなさいよ、と。

なので人生の中で沢山の時間を会社組織に捧げることで(あるいは捧げてる振りをすることで)生かされていて、かつその時間の中で悩んだり、苦しんだり、壁を感じていたり、葛藤していたりそういう、人生v.s.職業、上の違和感を感じている人(じゃあ全員か)にとっては、読むと胸のつっかえが取れる一服の清涼剤になると思います。ワークライフバランス派は、そこは素直に読むと実に気持ちがいいと思います。

こういうザッポスのような企業やTony Hsiehのような優れた起業家が沢山登場して、その着眼と手法と成果が注目を浴び、世の中において少しづつ法人格や企業に関する心象のあり様が変わってゆくことは素直に歓迎しつつ。

が、しかし、ところが。なにやらモヤっとした感触が残ります。

今ある問題点ってそもそも、それ(商売とか人格についての原点回帰)を困難にさせる構造にあるんじゃないの?と思えたりして。従来社会の構造もあり、個々人の(これは事業者だけじゃなく消費者も含めて、ね)精神の構造もあり、そして未来社会のあるべき構造もあるとして、そのどちらにも進めない戻れない。あっちを立てればこっちが立たず式にとどのつまりはどん詰まってる。そのどん詰まりが満然とした思考停止のせいなのか、はたまた富や利権の引き合いによるバランスのせいなのかは判らないけど、ともかく前にも後にも右にも左にも動けなくて、それでも日々を食べていかなくちゃいけない、だけじゃなくて老いた将来への備えも無くちゃならないから、なんかしょうがなく下を向いて現状を維持して早十年とかなんとか。

社会が全体に右肩を下げる中ででもなんとかしてウチの組織だけは右肩上がりを演出しなくちゃならないといったサイコ・パスな要請の下では、様々それと覚らせない工作はすれど、やっぱりとどのつまりは数多くのひ弱な個人から搾取するのであるとか。大きなトレンドとしてこの手の潮流が容認されてて誰もがそこから抜け出せない、どころかむしろ強化されてゆくような方針ばかりがバンバン出てくる、とか。
これは別に一私企業内に限らず、政府行政サービスとか、エネルギーとか、農業とか、通信とか、テレビとか、保険金融とか、製造とか。それぞれの産業が、それぞれの業界が、それぞれが、それぞれで。

だから、そういう社会の成員、特に弱小成員に向けて、海の向こうにザッポスって会社があってね、「彼らのやり方はすごくハッピーで、その成果はもっとハッピーなのさ!」みたいな話をすればそりゃー素晴らしいね!となるに決まってる。
ここんとこについてモヤっとする。

「素晴らしいね!」で終わったらそれは意味がないとまでは言わないけど、絵本や映画や夢で素晴らしい世界を見たんだってのと変わらない。それじゃあ詰まらない。あの月曜日が待ち遠しいと言わせしめる程の素晴らしい小社会を我がものにすべくトレースするその第一歩の踏み出し方が何か、なんだよな。個々人、一人一人はとうの昔にその頂に辿り着いてこの頂から一歩たりとも身動きできず助けを待つようになってから大分久しいはずだから。

というわけで、ボクが本書で感じたことを三つほど。
ひとつには、他者の為に費やすことができそうなものでかつ自分の側から無尽蔵に生み出される、そういうものがあるとすればいったい何なのかを発見することがどうやらすごく重要になりそうだってこと。次に、権力とかいうのもまたザッポスが描くそれと対局に位置する実績ある文化の有り様なんだってこと。それから、過去の例と変わったことや違ったことをいうこととやること必要以上に畏れないこと。これはかえって率先してかないと早晩後悔するだろうってこと。これらは書かれている内容そのものでは全然ないんだけどね。個人的にメモ。

本当は、オンライン通販がどうであるとか、ソーシャルネットワーク活用がどうであるとかをういうの書くつもりだったんだけどナ。クリエイティブ・クラスの世紀や、フラット化する世界とかそっちのトーンになってしまった。

ザッポスの奇跡(改訂版)~アマゾンが屈した史上最強の新経営戦略~