先日「ザッポスの奇跡」を読みながら感じていたことがあったのですが、前回のポストのときに描き損ねたので、このポストで補完しておきたいとおもいます。放置すると、まず間違いなく忘れ去ってしまうので自分用に備忘メモです。


ザッポス的なサービスに巡り会うことって、実際にはそうそう無いですよね。ボクも普段生きていてそうそう感動するようなサービスには出会わないわけですが、これって近いかもと思える数少ないザッポス的経験について。

ここ最近ずっと継続して受けているサービス(無料)があります。

ウチの最寄りのコンビニ、am/pm の店長とおぼしきおじさんは、ボクが店にいくとほぼ必ずマルメンライトを1つ棚から取り出しピッとレジを通してくれます。いつからなのかははっきり覚えていませんが、気がつくとそういうのが普通になっていました。もちろん、このことに関してはボクとおじさんとは申し合わせたことは一度もありません。もちろん最初は「マルメンライトください」って口で言ってましたが、今ではアイコンタクトだけでだいたい成立しており、場合によってはアイコンタクトすら必要としないときもあります。商品の性質からいって、コンビニに寄せてもらえばおおむね必ずといっていいほど買うものだし、もしも余分に買たとしても備蓄が効く性質のものですから、ボクにとってはとりだてて損はないわけです。このサービスを断る理由はありません。でもってもちろん、コンビニ経営のおじさんにとっても品物が捌ける分には当然損はないです。

こうやって商売だとか値段だとか商品だとかそういう店主-客という一種の取引関係を超えたところで、お互いに居心地の良い無言の関係を続けて、もう1年以上になります。つまりこの1年以上の間、ボクはそのコンビニに通い、勝手にレジしてくれるいつものヤツを買い、それに加えてドリンクなどの商品も何点か買い、小銭をおとしているわけです。
もちろん小銭をぶん投げるようなたちの悪いこともしませんし、先方にとっては手間のかからない上客だといっていいはずです。

ボクのこの体験がザッポス的という表現にあたるかというと、ちょっと食い足りない規模感であることは否めません。が、結局のところ、原理原則はザッポスの話と一緒だと考えています。

金勘定とか仕事効率とかそういう売り手側の都合を超えたステージで、あるいは事前に定めしサービス・マニュアルを超えたステージで顧客と接してはじめて継続的でソーシャル(文字通り社交)な関係が成立するし、感動できるサービスであると言える。反対に、そこのステージでないと顧客にとっては心がホッコリしないわけです。単なる買い物行動でしかない。

企業側が企業側の理屈で、理由で、ソーシャル・コミュニケーションを唱え、感動のサービスだと宣っても、業務規定の定める枠の中で当のスタッフが勤めているる限り、それは顧客に見透かされますし、それはセールス・コミュニケーションの範囲内のものにしかなりえないし、さらには目指すところの「感動」は生まれないような気がしています。

まあここに描いたのはいくつかある体験の中の直近の一例でしかなくって、このほかにも自転車店、服屋、レストラン、居酒屋、あと個別的に Sigma社なんかで手厚いなあと思えるサービスを体験をさせてもらった記憶がある。あとは Drobo や Incase なども感動とまでは言わないけれど少しばかり特別な接点があったりして、結果記憶に残ることになったという経験があります。
そういったいくつかの体験の記憶を思い起こして言えるのは、やはり小さな企業や市井の店屋さんの方がこういう記憶に残る体験提供が得意というか板についているということ。反対に大企業系のサービスや政府サービスでの感動体験は、、、皆無なんじゃないかな。意地悪で言うのでは決してなく。

以上、とりとめなくてアレですけど、「ザッポスの奇跡」を読みながらフワリ考えていたことのメモでした。


ザッポスの奇跡(改訂版)~アマゾンが屈した史上最強の新経営戦略~