読みました。河野武さんの「Twitter アクティブサポート入門」。
故あって、予定していた東京でのセミナーへ参加しそこねたことも手伝って、これは出たら速攻で読もうと決めておりました。読めてすこし気分が晴れた。 さて、冒頭からいきなり感想になっちゃいますが、ソーシャルプラットフォームが本書「Twitter アクティブサポート入門」にあるように理解され、活用されることはボクも望むなというようなことを感じました。
書籍「ザッポスの奇跡」がドキュメンタリーだとしたら、本書はザッポスがやったようなことをボクらが自ら実践するための手引書。理想と現実の橋渡しになるようなイメージという位置づけといってよいと思います。その中でもさらに「入門」書としての位置づけなのも興味深い。
そもそもことの入り口にあたる「アクティブサポート」という語になじみが無いヒトがほとんどだと思うので、本書なりこの語に興味を抱いたヒトは、まずウェブサイト activesupport.jp/ の当該説明ページを読んでみると少しとっかかりがつかめるのかなと思いますのでご紹介。
http://activesupport.jp/about
本書を購入前でも、後でも、どちらの場合でも「アクティブサポート」について参考になる情報源になるとおもいます。
それからオフィシャルサイトの紹介ついでにツイッターのアカウントも記載。
http://twitter.com/#!/activesupportjp
さて、本書のテーマとは関係しつつ本書の中身とは関係ない水準でボク自身のソーシャル体感値について。
やはり巷ではホントに、思った以上にホントに、会う人、会う猫、会う杓子みんなが「ソーシャル」での「コミュニケーション」で「マーケッティング」を、という方角に注意を払っているように感じられます。たまさか、そういう事案がボクの方へ回ってくる確率もゼロではないのかもしれませんが、そんなことは考えにくいのでやっぱり世の中はそうなのだろうと思います。そういう話をする機会は確実に増える傾向にあると感じられます。
で、そんなクダリの増加傾向も約1年以上は続いていて、そんな流れの中で、「コミュニケーション」期待に対して逆張りとかってわけではなく、ボク自身がまあまあの勢いで食傷に陥っています。
自分自身が、いちオンラインサービスユーザーとして、Facebook を(ほどほどに)使い、Twitter を(ほどほどに)使い、LinkedIn を(放置気味に)使い、そしてgoogle+ を(あまり使ってないけど)使います。ま、もちろんそれらサービスの基本的なところを知っておくことが業務に資する部分もなきにしもあらずで新しいサービスは積極的にアカウントを開設するようにしているということなんですが。
そうやって一個の個人としてサービスを利用してて感じることは、この間の巷でのソーシャル・ブーム、コミュニケーション・ブームはちょっと変な風に加熱しすぎちゃってるんじゃないか?ってことなんです。この変な風が上の食傷の原因。(決してソーシャルそのものを否定するのではないということをくれぐれも)
さて原因について。
どこぞの誰かと繋がるソーシャル・プラットフォームがネット上にできた、そこにソーシャルグラフができた、だからソレをアレコレ巧みに使うと、どうやら得しそうなんだゼ。その得をつかむためのスキルセットがコミュニケーションんだゼ、みたいな妙なムード。
こんなこというと身も蓋もないんだけど、人と人、個人と法人が相互にコミュニケーションをするってのがプラットフォームの主題であり最大の魅力であることに疑いはないのです。それでもって全世界から5億人もの人間が集うんですから。5億人の期待が詰まっていると表現してみてもあながち嘘ではないわけです。それってすごい。
だからその期待値は大事にするのが民主的で良かろうと思われます。ところがどっこい。どこぞのだれかからしたら、「でっかい生け簀」に見えなくもないのもまた資本主義の事実。でもとにかくまずは民主主義のルールに乗っ取って入り込まなきゃいけない。入り込むその鍵は「コミュニケーション」。
ピュアかつフツーな意味でのコミュニケーションを考えたなら、まずはコミュニケーションについての思い、考えがないとどうしようもないんですよ、きっと。こうして文字にしてみるとチープだけど、他者への思いやりとか、サービス精神とか、共感する力やら感受性や、それに論理的で常識的な思考力も、つまり自分の欲望以外のなにか相互関係の材料が求められるはず。んーなにやら面倒くさそうです。
がしかし、この見えがかり以上に面倒くさいことをボクたちは普段の実生活の中で自然にやっていたりもするわけです。でもって、この実生活と同等程度の面倒くさいことをオンラインにある社交場ソーシャルネットワーク上でやるってことが本来の「コミュニケーション」って名のパッケージの内訳になるはずなんだとおもうんですよね。そのうえで、なおかつ『正』の効果(利益?ブランド?)を得ましょうというと、それはそれはなかなか大変なこと。あくまでコミュニケーションの本式を採るならば…
でもね、だけどね。ボクと巷との会話においては、そういう理屈で話は進まないことの方がよほど多いんですよね。実際にソーシャルネットワーク上の人物と行動を眺めてると、どうやら一部の個々人のみなさんはフォロワー数を競い合ってたりするわけだし。かたや企業の人は SNS=巨大市場、みたいな理屈での食指を揺らして会議していたりするわけだし。(いやなにも十把一絡げにするつもりじゃないですよ。そういう傾向が見受けられる機会がボクにおいて多めってだけで)なので、とどのつまり。「ソーシャルでコミュニケーション」なんだよ、とね。
正直なところ。ボクはこの理屈は無理だわ。それを受け入れることは難しい。仮にですよ、ボクの家の隣に住んでる誰かさんがボクの家のチャイムを鳴らして笑顔で「もしよかったらこれどうぞ」って洗濯洗剤とネズミ講申込書とか手渡してきたら、まあ無理だもの。たたみ掛けるようにして「でもね、買わなくていいの。この申込書をボクの代わりにRTしてくれるだけでいいの」だって。絶対無理。そのムードが漂う場所そのものに居たくないですよ、そもそものはなし。仕方が無いので、住居を引越しします。
長くなってしまいましたが、こんなような体感値を前提にしながら、河野さんの「Twitterアクティブサポート入門」は良かった。救われました。冒頭に書いたとおり、
ソーシャルプラットフォームが本書「Twitter アクティブサポート入門」にあるように理解され、活用されることはボクも望
みます。
そもそもボクが今ここでこんな風に身勝手で後ろ向きなことばっかりを唱えていられるのもひとえに、本書「Twitterアクティブサポート入門」のように、ソーシャルネットワークの有益で平和的な活用方法を考えて、世に示してくれる誰かがいるからなんですナとかありがたく思いつつ、反省もしました。ふへー。
本当はもうちょっと本書の中身につて触れたい気分なんですが、色々愚痴ぽい事書いてたら、続きを書くのがしんどくなってしまったので、今日はここまで。