あれこれ考えなくちゃいけないことが沢山ありまして。夕べはあまり寝られなかった。疲れた身体がハイを呼んでか、今日は打ち合わせ先の京橋から散歩がてら徒歩で帰宅しました。

時代はこんなで、身を置く業界もこんなで、上っては下る濁流で、そんな中だけどなんとかギリギリ売上げが立っていて。
そりゃあ、売上が落ち込むことだってありますとも。落ち込めば少々、いや正直にいうと盛大に凹むし、事態を恨んだり呪ったりしたくもなりますが、いやいやいやそうじゃないぞ、と。既に買ってもらえるだけのなにがしか、それは能力なのか信頼なのか経験なのか解決後のビジョンなのかわからないけどともかうそれがあると値をつけてもらえているその事実だけで、よほど感謝に値するんだナと思えるとこまで頭を冷やすことができたりして。散歩ナイス。
結局のところ、全部に感謝するんだって答えに辿りつくことができて、なんとかセーフ。それと同時に、数々の反省も過りました。

そもそも、仕事に、売上確保に、ほとんどどん欲になれない質なんですよね。これはね、けしからん。儲からなくて当たり前です。そんな頼りないことじゃ、近々なきを見るのは自分自身なわけですから、早々になんとか貪欲さを身につけなくてはいけません。

次に、人との繋がり俗に人脈を活用するってのがやっぱり苦手なのですね。こちとらもう大分いいおとなだし、繋がり合ってる向こうだって同じくおとなだし、青臭い感情は割り切らないとやっていけないと、それは頭じゃわかってるんだけど、それでもなお、やっぱり苦手。というか避けてる。どうにかならんかな、ならんよな。性分だからな。誰か得意なひとにケアしてもらおう。

それから、割にプロセスを愉しむ能力に乏しいし、それがゆえ飽きやすい。傾向としては、眼前の事象、特に上手くいっていない原因の特定だとか解決だとかに夢中になりすぎる傾向。煮詰めようとしすぎるし、注意を注ぎすぎるというようなことも。そういう質が結果として、そのとき偶々自分が関わる事ができたプロセスであったり事柄であったりを、つまらなくしていってしまうふしがあって、それはボク自身が自己認識してる以上にすごく悪影響を自分へもたらしているのかもしれない。
子供のころからこの傾向は顕著。ピアノも1年。お習字も1年。水泳スクールも1年。愉しくないから止めちまうっていうぶっきら棒な判断は割に得意だったりして、なかなか質が悪いと思います。そんな自分とうまく付き合ってゆかないといけないわけです。たいそう難儀なことですが。

もっとも、なるようにしかならないんだし、変に矯正する必要は無いかもしれないけど。
そんなことを顧みた夕暮れ時の京橋散歩でした。


飽きる力 (生活人新書 331)