クリエイティブが本件の最大の突破口たりえるのである。いやいつだってメディア選定が成否を決めるのである。いやいやPRこそがひいては顧客の武器足り得るのだ。そもそもインサイトについての理解が足りておらないのだからしてクリエイティブもメディアも手法も検討に足らず実施目的の方こそ見直されるべきなのだ。

そういう三者三様の状況があったとしたならどうでしょうか。正直いって非常にウザッタイですね。ええ。夢想するのも避けたいようなフィクションの話です。

そこは主張のしあいや諍いとしてではなく三位一体で課題の解決に取り組めばいいだけなんじゃないかななんてのんきなボクは考えますが、個々の利害や矜持がかかった職場ではそうはそうもいかないようですね。
他者なり他社の顔を立てるなど、売上げを譲るようなもの!負けを認めるようなもの!そんなところなんですかね。競争社会は恐ろしい。しかしながらこんな争いに巻き込まれてもっとも不幸な目に遭ってるのは、依頼主であるということについて、どうしたものか。

偶々フィクションで発生するそういう状況に対してリハビリになりそうな考え方が描かれていたのが岸勇希(著)「コミュニケーションをデザインするための本」。

著者本人が手がけた広告の事例が多数掲載されていて参考になります。事例の本当の細部はスクリーニングされ単純化されてるように思えますがその分無駄なノイズがなく、課題の捉えかたや施策立案の着眼、実行のスキームが理解しやすく描かれてて好印象です。事例も図解も多数あり、読み進めやすい。

岸氏の言うコミュニケーションデザインという分野が今どれくらい確立してるやはたまたおらぬや、ボクには判りませんが、広告もPRもSPなんでもかんでもひっくるめて最適な消費者との対話、その全体像が意識されているということが面白いところなんだろうと思います。

言われ始めて大分長いテーマですが、旧来型だと広告は広告。SPはSP。PRはPR。そして事実は事実といった具合だったろうということ。もうひとつ旧来型を追加すると、インタラクティブはインタラクティブ。マスはマス。もっと付け加えたらイベントはイベント。映像は映像。紙は紙。ウェブはウェブ。

餅は餅屋って言われる通りそれぞれの領域の専門家が力を発揮するのはあるべき姿で、各専門領域を各専門家へあずけることは細部にわたるまで質の高い成果を目指すうえで重要。重要ながらも、それだけではまかないきれないのが、プランニング。それはよくあるどこにどういう消費者が沢山たむろしているかを熟知していてそのたむろを切った貼ったする手のプランニングではなく、消費者心理について並大抵でないセンスが必要なプランニング。一情報摂取者を上手にナビゲートして消費者にまでリピーターにまでファンにまでインフルエンサーにまでなってもらうプランニング。
経験とデータとセンスと知識に裏付けられながら、情報の受け手にとって最適らしそうなスキームを描き、プロジェクトの全体を俯瞰して事をすすめつつブレずにやりぬくというところに岸氏が言うところのコミュニケーションデザインの醍醐味なのかなあ等。
とりあえず従来型のプランナーはそのままでいいんだけど、それじゃあ上質なコミュニケーション形成には著しく不足があるので、コミュニケーションデザインなんであると。

この時代になにかしらお仕事していれば嫌でも、誰でもしょっちゅう耳にする(または淡い期待を抱く)と思うんですよ。インターネットの時代だからどうのとか、クロスメディアがどうだとか、ソーシャルメディアがどうとか、なんだかんだテレビの力だとか。そういったお決まりの文句なのか受け売りなのかは言うなれば、A型は神経質だとかB型は身勝手だとか、そういう手の類型論であって、課題解決の議論の上ではきっかけでこそあれ目的ではない。要するに暇つぶしなんだとおもって聞き流すか無視して良いんじゃないかとおもいます。もしもアナタがボクよりも親切な人なら「あなた(がた)の言っているのはせいぜい類型論なんだよ。世の人はそれを品定めっていうんだよ。」と教えてあげるのがベストだとおもいますけど。

あまりに安易に打ち立てられたキーワードなどに振り回されないで、事実を見極めて自分の知恵を信じて、行動を決めよう。


コミュニケーションをデザインするための本 (電通選書)