この年明けから、業務の都合あり、久しぶりに定期券を手配。
なんだかんだ、都会は便利そうでいて乗り継ぎだのなんだの考えるとまあまあ不都合だ、なんて事を言おうとしたんだけど、よく考えてみたらやっぱそうでもない。かなり便利。考えてみたら、20分も歩けばだいたい何でも事足りる、野良猫もいる環境なんだから、らたいしたもんだ。しかし2年越しで電車が日常生活に舞い戻ってきてしまう・・。

思えばボクは電車が苦手。もう20年近くも東京か近郊に生きているといにもかかわらず、相も変わらず、車両内のにおいに、人ごみに、ガツガツした席の取り合いに、距離感を測れない人に、降り口を避けない人に、旅情にかこつけて大騒ぎする団体客に、電車の中で嗅ぐ他人の弁当のチーズと油の匂いに慣れない。おしなべて通勤の風情が嫌い。体調的には朝が嫌い。それに、往々にして電車で風邪を貰ったり、ストレスを貰ったりもする。電車の基本機能である「移動」それ以外にいいことなんてなにも無い。歩きが主だったなら少なくともウォーキング代わりにはなっていたのに。だから、寝ます。電車は寝場所だとおもって意識を彼方へ飛ばす。目を閉じ、耳を塞ぎ、鼻呼吸を止め、口にはマスクをして、寝ます。思えばそういう人は電車の中に沢山いる。ボクみたいな人は沢山いる。みんな頑張ってる。エラいぞ。

さて。そうやって苦難をスルーしてなんとか目的地に辿り着いても、そこでの業務はアウトプット関係だけで殆どの時間を謀殺されて過ごす。そこでは自分向けインプットやアウトプット用の仕込み業務の生産性は殆ど無いに等しい。ならば自然と、本来の事務所で仕込み、外出先でアウトプットのスタイルが平常運行の様相になる予感。苦手な電車に乗るし、生産下がるし、持ち帰るしで得になるようなことは無いわけですからいろいろ切ないことです。

そんなに言うならワークライフバランスを理想的な状態へ持ち込むことを画策しなくちゃいけないので、この定期券をきっかけとして前向きに考えたい。環境作りの転換期にでもできたらいいなとか思う次第。けど、そういえば今年「凶」ひいたんだっけナー。

ともかく、気に入る環境を奪取するのは自分の技量次第なんだから、ならばそこにこそ注力したい願望。それはそのままその人の生き様であったりもするしな。


7つの制約にしばられない生き方