時節柄やむを得ないことだとはおもうんだけど、なんか時間繰りがぜんぜんうまくいかなくて、困る。困ってる。象徴的なところとして、本なんかは全然読めてない。小説も読めないし、ビジネス本もしかり。

3DSをやる時間。wiiをやる時間。スケボ乗る時間。ニュースフィードを消化する時間。写真を撮る時間。散歩する時間。漫画を読む時間。映画/ドラマを観る時間。ブログを書く時間。酒を飲む時間。それから、平生の業務をやる時間。移動する時間。企画プレゼンの仕込みをやる時間。調べ物をする時間。経理仕事をやる時間。市役所に行く時間。税務署に行く時間。あとは、寝る時間。風呂はいる時間。食事をとる時間。買い物する時間。
とりあえず21個書いた。と、読まなくて良い風に数を申告してみた。

こっから寝てる時間を除くと数にして20個。仮に睡眠時間を4時間に設定したとして、一日のうちの活動時間を20時間とすると、それぞれ1時間ずつ配分できることになるのねこれ。アレ?するってーと出来ないわけがない。
忙しいだの、出来ないだのというのは、気のせいなんだろうか。言い訳なんだろうか。まあそうなんだな。いつのどこの誰が言ったかしらないけど、時間は作るものなんだ、とかで。忙しいなんて愚図を言うのは時間を作ることのできないヤツの泣き言なんだ。そんな愚図になっちゃうのは、きっとあれだ。ダラけてるからだ。だから答えはダラけなければいい。
ダラけないためには、肉体と精神だ。肉体は衰えを上回る速度で体力を向上させればよろしい。精神は失敗も妥協も未だ知らない幼児のようなハリを保てばよろしい。そうやってダラけさえ克服すれば、時間とやりたいことに対して説明がつくはずだ。それでもって、やりたいことの総てを毎日1時間づつのプログラムで、1時限目から20時限目までの7セットを1週間、2週間、3週間と粛々とこなしてゆけばいい。だから、プログラムのなかに体力作りを1時間加えなくちゃならない。ジョギングを1時間追加だ。睡眠は3時間、活動は21時間に変更だ。

と。ね。

仮にですよ。地球を裏返しにでもにしてやろってんなら右に書いたような頑張りも必要なのかもしれまい。領域をまたにかける天才としてでもやってくってんなら上に書いたような覚悟もあるのでしょう。やー、でもね、そういうの無理です。ムリムリ…。むしろですよ。ダラけたいがためにこそ、踏ん張ってますから。ダラけこそが贅沢。今夜をダラけ、明日をダラけ、遠く具体的な将来をダラけるためにこそ、たった今を忙しく過ごしてるんですから。であればこそ、繁忙を受容してられるんですから。
なので、ボクの場合にはやりたいことややるべきことの数を減らすことでしか、時間と事柄の間の事情都合を解消できません。どうしても今やんなくちゃなんないことかどうか、絶対にやりたいことかどうか、俗に言う緊急度と重要度とで優先度を見定めてやるってことになりますか。
無駄な物なんて一個も無いけど、優先度の低い物をなるべく後に回して、今来た波に乗る。サーフィンしたことないけど。

と。ね。

考えてたら、じじいになったら後悔する、的尺度なんてものも持ち出せるとおもうんです。若いときにたくさん旅行をしとくべきだった。若いときにもっといそがしくしておくんだった。若いときならもっと無理ができたのに…と。この手のガイドラインの構え方は時折有効そうに見えます。他には、笑って死ねるのか、みたいな。後で後悔することになるよ、と。
まあ、まてよ。よくよく考えたら、そんなこと思ってる、思ってるだけならいざしらず言ってるじじい自身が相当ダサいので、そんな尺度は却下です。じじいの自分に今の自分が尽くすというような様こそ、過去の自分に責任を負わせようとする様こそ、観ようによってはこのうえなく哀れ。若さに対してあらゆる欲望を詰め込もうという思考になにかドロリとした気色の悪さすらを感じます。
後悔しない生き方絡みのガイドラインなんてのは、教訓ちゃ教訓なんだろけど、依ってたかるような考え方であまり好きになれない。犬から12個のことを教わろうとするくらいにダサいこととおもう。

と。ね。

結論、上出来だろうが全然ダメだろうが、悔やまれようがそうでもなかろうが、構わず時間は流れてゆくので、たまに焦って何かをしはじめたり概ね弛緩して宙を観たりしながら、奇跡の賜物、自由時間を好きに過ごすしかあるまい。どんな風に過ごしたって、そもそものところで貴様なんかにゃ勿体ない代物なんだからさ。


時間論 (ちくま学芸文庫)