契約の一件はとりあえずのけりがついた。ウェルカムムードで迎えられてなかなかの仕上がりなんだといっていいとおもう。だけど胸に支えがあって、釈然としというかむしろ憮然とした気分なのは概ねボクの側の思想の問題なんだな、きっと。

強いてちゃんとした格好で雇われることを否定して、苦手で気分の良くない交渉を重ね続けてるんだけどその意味意義は何なんだろうかということを既に忘れかけてる。意味は一体全体どこにあるか、というか意味はあるのか。なんかヤキモキしたときのようなジクジクした気持ちになる。酒でも煽って、理解を反転させて、おめでとうかなんかいって流しちゃえばいっそ楽なのかもしれないけど、そういうのが最もダメなパターンな気がするので、それもせず。

ところでなにと格闘してるんだっけ、と思うにつけ、不明。いや本当は判ってるけど、かなり忘れ気味。選んでるようでいて選んでるわけではなく、とどのつまりは、そういう風にしか生きていかれないからそうせざるを得ないだけであって、それは例の根治の難しい病気とは仲良く付き合ってゆく的なのとだいいたい同じモデルで、自分のできないことと付き合って過ごしてるだけなんだな、これはきっと。そんなことは判ってる。

自由でないとダメだから自由を選ぶ他ないんだけど、選んでみるとそこは決して楽なわけでも安心なわけでもなく。無論当の本人だからそんなことは百も千も承知だけど、そういう風にしかやれない、どんなに一所懸命底を攫ってみてもただひたすらそれだけなわけで。実情なんてもんはそんなシンプルなとこなんだけどたまにそういった内訳も知らない他所の人から、自由をか、費用をか、うらやましがられることもあるけどそれは誤解なわけであって、会社員勤めを真っ当に貫くことができる器を備えて生まれ、生きていかれるアナタこそが幸せ者ですと申し添えたくなる。強いて言うことはまずないけど。

そうでなくとも。ただ食ってくだけでも大変なご時世らしい。大勢の人が不遇に下を向いてこらえてやり過ごしているような話も聞く。食ってゆき、それでなおかつ好きなやり方で生きてくなんてのはそうそう楽なことでないってわけだろうし、安心なこともなんにもない。それでもどうしても曲がれない局所がそこなんだから、しようがない。しようがないといえ身勝手な話であることは間違いないわけだら、自分がどうのこうのというのは言っちゃいけないこととするにして、それより以前にこのことに付き添ってくれてる人間に本心で感謝しなくては人でなしもいいとこ。いろいろあれこれありがとう。

てなわけで、ちょっとは胸が空いたから、自由に納税しにいきます。


自由からの逃走 新版