Mubz snap

たまに、もしもここに500万円あったら、何するかなとかありもしないことを考えてみたりするんですけどね。

まず、娯楽に費やすというのは選べないですね。今も将来もどっちも余裕が見えないですから、なんか食う分だけでもやっとですから、パーッとドンペリーニョとかやっちゃったら約1000%、将来に禍根を残します。どっちかというと儲けるためにこそ費やしたいと思うのが自然です。

で、儲ける手だてとして何に費用を投じるか、俗に投資するかってことなんだけど、ほとんど何においても信用できる、もしくは勝てる事柄なんか無いんじゃないだろうかとか思います。巷にある金融商品も、保険商品も、年金もなにもかもが、混乱の時代にあっては、乱高下。リスクが読み切れないというリスク。強いて銀行はまだ負のリスク無いと言えなくもなさそうですが、それは同時に、大した利子も無い世界なわけだから、一個の小市民にとってはあってもなくてもどっちでもいいような有様です。いやむしろ小額残高の口座を没収だか運用だかするような計画の話もあるみたいだから、やっぱり負のリスクがあるとおもった方が良いだろうと思います。

まこの手のことについて真っ正面からド素人だもんで全然考えが足りないけど、そういう風にたぐっていくと、存外、鶏の飼育とかそういうのがいいななんて思います。これは身近な人物がそういう余生を過ごしているというのも強く影響してる見立てなんですけど。なにぶん発想の根幹は自給自足ってことだから投資かっていうと位置づけが難しいっちゃ難しいです。それでも何に投じる?て言われたら、動物の成長とか、植物の成長だとかそういうことがすごく確からしく感じられてくる。だって、生物はちゃんと手をかければ、ちゃんと育つんだもの。刈り取れるかどうかは病気や天候や別の問題も絡むだけど、でも水と餌と空間と愛情を与えれば最低限育つは育つ。知らないヤツが浅はかに考えるとかそういうんじゃなく、ボクが育ってきたのと同じように鶏も育つはず。そういう、ほんのちょっとだけ周りの人に手をかけてもらいながら実行される当たり前の成長が、既にこの世で貴重品というね。いや、端から成長そのものしか貴重品たりえなかったのかもしれないね、振り返ると。もっと沢山の価値に彩られてる予定だったんだけどナ。

すると日本の経済成長があろうことか高度だったときには、日本がすくすく育ってたんだろうね、文字通り。大きく育つニッポンに時間と手間をかけてそれから金を賭けて、それでよかったんだろうね。だって、ちゃんと育つんだものね。素晴らしいことです。が、この先を見るとそれなりの大転換でも無い限り、まあ育たない見込みですからね、国も市場も。そこへ突っ込めば突っ込むほど、原資は縮んでいくって風に想定するのが機微に愚鈍な素人の真っ当な長期の選択なんだろうと思います。

金融方面じゃない息の長い投資先としては、土地不動産だとかそんなんもあるんでしょうけど、そもそも人口が減るし移民やなんやあるにせよ当面のトレンドとしては、買った金額じゃ戻らないわけですよね。なんで、選択しづらい。
じゃってことで趣向を変えて教育に投資なんてこともあるんですかね。何のかんの言っても人は育つからね。で、この人ってのを誰にするかってときにそれが子供かっていうとそれは投資というよりも本人への贈り物の枠の予算でやれよってことになりますナ。返って来るとかこないとかそういう物件じゃない。だから教育で子供に投資なんてのは、最初っから無いんです。いやそりゃ希に横峯さくらとかみたいになっちゃう場合もあるのかもしれないけど、そういうのは狙ってやるもんじゃない。だしにつかっちゃダメ。
なので、自分に投じるか、リスクを分つことが出来る仲間に投じるかするのがいいんでしょうとか思います。で仲間内で金の貸し借りというのはもう先人たちがソンナノチョーダメヨと経験に基づくガイドラインを導きだし済みであることからして、やるんなら第一弾目の覚悟としては捨てる覚悟の投資になるんでしょうね。Facebook のアイツみたいに鳶に揚げをもっていかれちゃうことまでも覚悟の上で投じる、と。でもそんなことはなかなかに胸くそ悪い人生と言うリスクを孕むことですから、単に種銭を捨てるということ以上に厄介なことを背負い込むんでしょう。だもんで第二弾目の覚悟としては信頼を寄せた人に裏切られる覚悟ってことになりますかね。そんなんあるので、メンタルの地肩に自信のない人には自分へ投資というのが宜しいんではないかと着地するのが自然ですね。

つまりなんだろうか、自分がコレは絶対にすばらしいと信じることができる商品やサービスやをこつこつと運営してゆくその資金にこそ500万円を充てるといいんじゃないかな。本を書いて出版するんだとか、ウェブサービス立ち上げて運営するんだとか、プロカメラマンとしてやってくんだとか、田舎の物産を販売するんだとか、得意なことを活かして小さなスクールを開講するんだとか。その途上に雇用が必要ならばそうすればいい。そんな地味な帰結でいいのか?と、小さくないか?とは思うんですけど、本気でやると大変だからね。やりがいあるからね。それにここまで洗ってきたとおり、美味しい話なんてのは無いと思ってなくちゃ変だし、別のまともそうな選択肢も見当たらないし。世界の経済のこととかまるきり知らないし、クルクル目の回るトレードには面倒くさくてついていけないし。議員さんにでもなって箱物でっち上げてそこの土地に唾つけとくとかそういうんでもやんなくちゃやれないね。当然できないけど。あとはもうアレです。みんなの夢、そして逆立ちしたって当選しない、宝くじ。500万円分宝くじ買ったら幾らになって返って来るんだろうね。連番で買えば溶かした残り香で50万円を愉しめるというね。ふん。ここまでくると何も考えないことへ賭けるって話になりますかね。

こういうの無理ではないけど、そうとう面倒くさい。ぐちゃぐちゃ推し量って選んでたら何も前に進まないまま生きてる時間まるごと大損こいちゃう気がしました。人様に迷惑かけるんじゃない限りは、ある種雑に見切り発車しなくちゃならないのかもいけないです。

やっぱり鶏にしとくかな。


スノーボール (上) ウォーレン・バフェット伝