今日 ATOK 2011 for Mac がやってきました。
最近じゃ、便利であること、捗ること、前向きなことのうち選択可能なことについて、自分に対してオッケー出しまくってるもんで、それは俗に甘えっていうんじゃないかとか思うんですけども、自制する感覚に乏しいです。清々と乏しい。潔く反省しない。
で、スッキリ反省しないまま早々 ATOK 2011 for Mac をインストールして利用開始しています。もちろんこの原稿もATOKによる。
さすがにインストール後間もなくの今は、相当ぎこちない入力状況のただ中にあります。
ぎこちない要因のひとつは、ATOKがあげてくる変換候補に対してまだ全然ボクの側が慣れてない、予測がついていないこと。なんだかんだいっても、ことえりとだいぶ長いことやってきてるもんですから、其れは喩えていうなら誤字脱字系ボケに10年慣れ親しんでいるところに突如時事ネタで鋭くボケてこられてちょっとビックリするようなそういうぎくしゃく感。それからふたつめは、これまた長年のことえりシフトによる弊害なんだと思うんですが、文字入力の際に、短い、文節での、変換を、体の、方が、覚えて、いまして、これは、いわば、癖、みたいな、もの、ですから、簡単に、は、直らない、です。スペースキーとエンターキーを急がない、じっくり腰を据えてひらがなの一文を綴るというモードチェンジがまるっきりできていなくて、ATOKの良さはまだまだ解りきれないでいるところです。
でも、この不便を我慢して凌いだその先に、ボクの日本語入力の癖にフィットした変換候補を出してくれるようになるはず。その頃にはボクは文章の1文字目から2,30文字後に現れるはずの句読点までを、隅から隅までずずずいと、スペースで変換することなく書き綴るようになっている予定です。同時にして、もちろん ATOK はその一文をまるまる希望通りに変換してくれる用に成長しているはずでもあります。
さしあたって、難しいなって感じているのはそういう慣れ系のことや細かなことがほとんど。あとは入力切り替えなど操作の面で、ことえりと違って困るのが、文節ごとの変換確定を[スペース押しながら右カーソル]か[単に右カーソル]かというような細かな点にもあったりします。がしかし、こういうことは本当に慣れだけのことだと思うので・・慣れる以外の解決方法がありません。慣れ待ち。あとはなんだろう。ひさしぶりに「あ・連・R・漢」の ATOK ツールバーがデスクトップに表示されて、それはそれで懐かしくうれしかったんだけど、デスクトップの美観を損なうのでこれは非表示にしますだとか、ね、あります。
反対に、よかった点も既に発見してまして。まずなによりもマシン処理が重くならずにすんでいるということ。当然のようではありますが実はインストール前に最も心配していたのがこれでした。なにぶん日本語入力ですから常駐が当然ですしほとんど必ずどのアプリとも関わります。もし万が一ATOKのインストールによって処理が重くなるようなことがあれば即刻アンインストールを辞さないぞという意気込みでインストールに挑んだわけですが、なんのことはない。処理の重さなんて全く感じられません。至って順調。ボクが遅筆で恐縮至極。
それからもう一つ良かったのは、OSX Lion 環境で全く問題なく動作していること。これも事前の懸念だったことですから難なくクリアできてなによりです。ただし一応念のため OSX を最新バージョンへアップデートしてから ATOK のインストールへ挑むのが、なにかと安心かなと思います。
まだ具体的に体感できてないけど、でも期待を寄せているのが各種の辞書との連携とそれから Mac 内のアドレス帳との連携。人名地名住所そのほか固有名詞というのはもうデフォルトの辞書に載ってないことばかりですから、余所のデータをうまく転用してちょっとでも入力行為の負荷が軽くなるといいなと、重めのウェイトで期待してます。あと大辞林はじめ四季報などなどの辞書には自分の知性品性を補ってもらおうとか、ややさもしいような気持ちで漲ってます。