これまで長財布というものを毛嫌いしてきたこともあって、今回が初長財布。こないだのミニ財布と同じく万双。
なぜ長財布を毛嫌いするかっていうと、やけに大袈裟な印象だから。大人の階段上ろうとしてる感も何かダサい。ポケットからはみ出すし。なんか長いし。長財布だから長くてあたりまえなんだけど。気持ちのどこかでそもそも自分みたいなもんはあのナイロン製のマジックテープのビニール製カードケースが4、5枚ビラビラしたような、そのビニール製カードケースの付け根の接着があまくて半年くらい使いつづけると溶けた輪ゴムみたいにネチネチなるようなアレで十分なんじゃないだろうかとか、そういう風に考えるところがある。自分に対してか、金に対してか、なかなかのカジュアル判定をしてる。
それでも、老いゆくごとに持ち物や約束事ばかりが粛々増えていくわけです。しかるべき時にしかるべきものを持っていないと、なにかと失うものも多いわけです。ヨドバシ行くたびにカード無いし、ビックカメラ行くたびにカードないし、トゥモロー行くたびにカードないしとね。病院行くにも診察券持ってないし。ついこのあいだ飲みに行ったときにも全然現金の持ち合わせが無くって結局最寄りのコンビニまでダッシュさせられたし。もうね、なんなんだろうか。ダメだオレ。
そんなわけで、これは飽くまで己の便利のためだと、ステーショナリーのジャンルのものだと、フランクリンプランナーと目的は一緒のなんだと、荒ぶる KIDS 魂を慰撫して、長財布です。
実際問題、この長財布に 10 枚くらいのカードが入って、また何枚かの(願わくば何十枚もの)高額紙幣が入ってれば、だいたいの急な用事には対応できる算段です。突如流れでカラオケ屋にいくことになっても大丈夫。帰省のついでに東京駅でお土産を見繕うようになるかもしれません。深夜にタクシー帰宅することになる場合にも大丈夫です。先日同様に飲み屋で持ち合わせの現金が不足してダッシュさせられることも無くなろうというものです。安心です。
反面、この機動力が裏目に出ると、たとえば通りがかりで一眼用レンズを買う可能性も生まれます。いっそのこと京都まで逃避行へ発つかもしれません。まあそこまでいかなくてもうっかり新・パルテナの鏡は買うでしょう。そういった意味では心配です。