ありがちといえばありがちなことなんですが、クリエイティブが走り出して久しく進捗はもはや中盤戦の状況下で、はてこれどんなコンセプトのもとにクリエイティブ推進してんだっけ?という事態にまさにいま遭遇中。で、至急的速やかに関係者から情報を聴取してあれこれ紐といてゆくと、結論、そもそもべつにコンセプトなんか立ててない、コンセプトワークが動いていなかった、というところまで判明。

まあ実際問題に立ち返れば、ここまでのところ依頼主も製造サイドも誰しもが、そんな感じの要件の出し入れをしてて、それで互いに納得づくで、相応の満足感を得ているなら、それはそれで関係各位のパッシング能力は見事であるとか想うのだけど、それでも、なんともはかな気な仕業であると将来視点から今を振り返って既に在りし日が忍ばれる風情があって、わびしい。というか、そんなんで宜しいのならこっちは相当ヒマ。

で、ヒマもほどほどにしとかないとお天道様に申し訳が立たないとか想う質だもんで、プロジェクトのどこの段階で誰へコンセプトワークを期待するかについてこのタイミングで確りと自分に楔を撲っておきたいなとか想います。そうでないと、先々ヒマになってしまうからね。

一つのやり方として、地道な積み上げでいくならマーケッティングの専門家に期待を寄せるのが適正な回答なんだろうと想う。けどもう一つあるなと想ってるのが、ある種の判りやすい領域であればその道でとんがったパフォーマンスをしてきたアーティストみたいな人物にボコンとご当人が想うところの未来のあるべき姿なり業界の道標なりを描いて貰うってやりかた。後者はちょっと刹那的に見えなくも無いけど、というか実際に個人の感性に由来しててそれが心許ないと言い始めればきっと刹那的な行為なんだけど、まあそれはそれでその程度のリスクは含み置くことができる懐なり器なりないとブランドだとかクリエイティブだとかおっしゃってるんじゃ無いわヨとかもあったりするのでというのは冗談だけど、でも実際に歩み出す未来の方角を決めるのはデータじゃなくヒトなんであってヒトを信じることができないんなら最初っから看板なんかお下げなさいヨという意味ではかなり真面目なんだけど、ともかく候補としては有力なんじゃないかと想ってます。むしろ前者マーケティングの専門家の場合、ファクトベースのご託をたくさん並べてくれるのはそれはそれで学び多く非常に有り難いんだけど、今欲しいのは過去に何があったかって情報だけじゃ無くてむしろ未来においてなすべき事なり、未来においてなされた姿の情報なのよということが一向ご理解いただけない場合も多く、ストーリーテラーとしては不向きであることが度々あるはず。妥当性の担保にマーケティングの人、豊かなストーリーにその道の見識ある人なんて取り合わせができたらちょっと面白いんだろうけど、なにぶんお金はたくさんかかりそう。

で、反対に選んじゃいけない失策が、市況のことや戦略のことなんかが意識の中に無い、たまさか社内で居合わせたウェブデザイナーなんかにコンセプトワークを期待してしまうというようなこと。これはウェブデザイナーでも、エディトリアルデザイナでも、プロダクトデザイナでも、なんでも、そこは一緒。商業デザイナーである彼らの手元にはコンセプトシートなり山と積んであるし、そのシートを理解し熟す能力も相応に高いはずなんだけど、読める、理解できるということと、生み出せることとは全然別の事柄だからお門違いになる。さらには事態を混沌とさせるのは、彼らも彼らで生み出すことに非常に前向きというか比較的気立てが良いというかで「そうですか、じゃあがんばってみますね」という風を醸し出してくる場合もありますからそこはひとつ大人の線引きが必要。醸す雰囲気についつい甘えて、なけなしの予算枠に縛られ、認識のグラスを曇らせ、結果配役を間違うアカウントの登場は未来永劫後を絶つことはきっとないだろうけど、それでも、その混沌に惑わされることなく、日和ることなく、適正な配役を選び取ってゆかないと、ブランドコミュニケーションなんか成り立ちやしない。

はい、自分に楔、うちました。

あと書店に寄せて貰って気づいたんだけど、コンセプトワークに関する図書というのは殆ど存在していないみたい。なんでだろうか。コンセプトワークのサンプリング集なんかあったら買っちゃうんだけどな。


世界のブランド戦略―そのコンセプトとデザイン