Facebook が上場を迎えたねってタイミングで、いまいちどSNS を取り巻く状況ってどうなんだろうかとか懐疑的に考えたりしてます。

正直いって本質的な事情は一切知らないんだけど、mixi はあまり芳しくないような情報が行き交っていたり、Facebook についても期待薄の声があったり(いやそもそも期待って何だよってことなんだけど)、google+ がテレビコマーシャルで人集めに走ったり、どこぞの金融会社が twitter について篠原涼子にグチらせたり。gree がアレで、DeNAがソレなのはもう言わずもがな。あと関連図書出版も盛んで SNS を使い倒せば増収増益みたいな手の出版がごまんとあったりもして。で、もちろん十把一絡げに語るには無理があるとは知りつつも、こう思うです。

えっと、これは何狂想曲なのよ。

まあFacebook が上場を果たしましたよと言う時点で、それはきっと何か正式なプロセスを経て、これは虚業ではありませんれっきとした実業ですという太鼓判もありつつ事は前へ進んでいるのだろうし、いいちゃいいんだけど、その現金還元できるところの価値が何なんだというと、5億人とか8億人とかのユーザーの個人情報になるのか?っていうとそれはそれで概ね違法なんで(脱法の手口もありそうで空恐ろしいけど)そうではないとすると、沢山の露出が見込める「場」のお値段が価値でありこの場をマネタイズする仕掛けとして広告が最有力ですねというのが選ばれるのだとして。すると、Facebook さんは放送業のようなマスメディアってことでようござんすねと仮に一旦位置づけるとして、じゃ、従来マスメディアとの違いは何かというとそれは、視聴率でなく視聴者実数と視聴回数実数が測れることと、国境が緩いことと、究極的には視聴者趣向が判ることなんていうのはたとえばテレビと比べて秀でたところになるんだろうなと。反面、コンテンツ制作費とコンテンツ配送費がかかっていないことと、地代・放送権費用がかかっていないことあたりは投資側面から考えたときにどうかというと、いったい何でもって間違いない資産を勘定するのかちょっとあやふやする、虚業臭さが残るネガティブなところになるんじゃないだろうかと想うんだけど、どうなんだろう。将来的に Facebook 事業が成長し続けるかというと、必ず鈍化し、横ばいし、衰退するわけなので、そういった場合に都度俊敏に売り抜ける気満々の投資家たちはそれはそれで小ずるくて宜しいとして、そうでない人たちというのはいったいぜんたいこの事業のどこに揺るがない価値を見込むんだろうかという不思議さがあって。仮にそんな純朴な人物は一人たりとも居ないんだとしたら、もう太鼓持ちと太鼓持ちとの化かし合いみたいな風情でして、この上場とこの上場に群がる一群とはいったい何として捉えたら良いものなんだろうかと、根本的なところへ戻ってくるという、次第。投資投機は知識も興味が無いので、ここに書いていることは確たる事じゃないのは勘弁して貰うとして。

視点を変え、一ユーザーに立ち返って事業なりサービスを評するにつけ。Facebook はサービスとして心地よいかというと居心地は良くないし、便利なのかと言えばそんなにいい情報ソースはそうそうはないし、新たな出会いがあるかというとむしろ新しい人と友達にならないでくださいという運営側からのガイドラインがあるし、妙で怪しいアプリのお誘いがくるし、アプリを入れたら入れたでそれは入れないでください危険ですのインフォメーションが流れてくるし。それに前々から言うように、実際の知人の知らなきゃ良かった側面を知らざるを得ないというどちらかというと苦行を強いられて仕舞う部分もあったりして。なんだこれ。ただ唯一、Facebook が便利だなって実感するのは、知人の誕生日をお知らせする機能のヤツ。Facebook の価値というのはそういうことなんじゃないかな、と誕生日の通知を受けるたびに実感してる。
これはボクの場合であって、クレバーかつ華麗に Facebook を活用して、仕事にプライベートに社交をエンジョイしてバカスカ実入りがあるようなユーザーからしたら、何を芋臭いことを…という感覚なのかもしれない。

SNS疲れとか | fly-g式 http://bit.ly/KCtv5c

SNS疲れって言うのなんなの?自分で蒔いた種なのに?自分が望んだことなのに?やめればいいのに?インターネットなのに?えーとおバカさんなの?

などと、昨今のSNSにまつわる人たちの事情が謎です。

わかる、その謎。共感。
で、ここの謎については、上に書いた個人的感想の通り、便利さ快適さはほとんど魅力じゃないわけなので、別の誘因が Facebook 参加を促進していると見ていて、それは Facebook というインターネット上の社交場に参加しまたこの参加を継続する必要のある数億人の人にとって、そこはすごく手軽に自己顕示欲を満たすことができて個人以上芸能人未満みたいな甚だエロチックな楽しみを実現することが叶う(かその可能性を感じさせる)場なんだけど、その悦びのために支払いを求められることになる対価(コミュニケーションやコンテンツ作りやその送信のコスト)についてはその支払いを渋りたいってことなんだとおもう。謎の振る舞いをしている当人じゃないから推し量るくらいしかできないけど、客観的にはそう推察。
でもそれはたかだかサービス理解水準の推察で、もしかするとより根源的な部分で人間という生物にとって一定数以上の人数との対話は脳の器質的な限界で成り立たない、すなわち疲れ。とか、そういう理由なんてのもあるのかもしれないのだけど。

とかなんとかで。Facebook とその上場とに関連してそんなことを考え、SNS 全般に対してあるいはより広くインターネットサービス全般に対していささか絶望的な気分にもなっちゃったんだけど、でも決して全部がそうでないなと思い直したいので、何か真っ当らしいサービスは無いかなと頭の中をまさぐってみたら、コロンとFlickr が転がり出た。個人としてサービスを利用していて、居心地が良く、便利さや楽しさがあって、新しい発見が日々あって、自由なムードで、虚ろじゃないサービス。こちら側にはストレージ利用料とサービス利用料を年額で支払ってるという明瞭な意識があるし、サービサーにはユーザーから回収する利用料で、確り堅実にサービスを維持増強していってもらいたい。そんな感じで実のあるサービスを提供し続けて貰うためになら、サービス利用料を請求してくれてて構わない。

Facebook はこれからどんな手で投資家たちを納得させてゆくのか、サービスはどうのように変質してゆくのか。愉しみです。


虚業成れり―「呼び屋」神彰の生涯