先般。知人と話してて核心だなと思ったのは、想像力のクダリ。
将来歌手になりたいって思ってると現実にそうなる確率は上がる、ということは当然としてそれ以上に、歌手ですけどなにか?という姿勢で生きてればなおいっそう歌手になる確率は高まるのではないかというのがその中身。自分へのプレッシャー云々や有言実行云々といった所謂根性論のことではなく、もっと幸せでそしてポジティブな想像力のこと。
俗に「本人その気になっちゃってるよ」と言われてしまうような状態を思い浮かべると解りやすい。

もちろんビジネスを軸に回ってる一般社会の中では、不出来者が名を語ると叩かれやすいわけで、そこのバッシングを凌ぐのは相当の心労だとは思うしボク自身名ばかりの出来損ないにいっぱい喰わされるのは願い下げなんだけど、でもまあ、公務員か医者か弁護士かその類いでさえなければ、何の名を語っても憲法に違反することは概ね無いわけだから、そんなことは本人の好きにしたらよろしいんじゃないかとも思います。

そういえば、10年も前に読んだ本で「作家になりたいんですけどどうしたらいいですか?」という質問に対して「まず自分から作家ですって名乗ったらいいんじゃない?」というようなアドバイスが言われていたことを思い出した。言っていたのはリリー・フランキー氏だったような記憶。ちがってたら済みません。で、コレを目にした当時は気の利いた洒落くらいにしか捉えられてなかったんだけど、人の世の現実というのは存外そういうシンプルなことで回ってる場合が多いと、今は思う。よくもわるくも名乗りは単なる名乗りであって、必ずしも勝ち名乗りでなくちゃならないなんて法はない。だいたいからして何が勝ちかを判定する行司すらもいない。

もっと言ったら、「アタシ、美人なんです」とかそういうことすらも言うが先か、振る舞うが先かってところは大いにあるのだとおもえます。例の美人姉妹とかなんてのは、容姿が美人の枠に塡まってるかどうかよりも美人「風」という芸を演じてるようなところが大なわけで、純粋な美人としての勝利(それがなにかは知らないけどね)はみじんも覗えない有様にあるわけです。なのでどちらかというと、一般的に美人市場と思われている市場の内側には、実は一段階深くてニッチな美人風市場という未開の領域が残されていましたということへの嗅覚が彼女らの勝因とすら言っていいのかもしれない。とかなんとか。

だもんで。会社の経営方針や人事や自分への評価やそいったものへ不満を募らせながらも、単身で何をしたら良いのやら皆目解らないというようなコンディションの人は、とりあえず「社長ですけどなにか?」って言ってみるってのはどうかな。先走りと信じ込みでまずは己が姿勢を示し、行動を推し進めてゆく。するとあるいは今の会社経営の妥当性に気がつくことができたり、あるいは無理からぬ理由みたいなものなんかが見えてきたりするところもあるんではないだろうか、とか思えます。
あいつはダメとかあそこがバカとか否定語を並べて不味い酒を飲んでため息ついては帰る、そんなことを幾度繰り返すよりは幾分かマシな人生に届きそうな気配を感じます。

てわけで、まず名乗るってことは自由だしメリットもありそうだし、それになにより面白そうなので、阿呆と政治家の人たちの専売特許にしておくのは惜しいなとおもった次第。で、何を名乗ろうか。


リリー・フランキーの人生相談