意味もなく考えすぎてしまう悪い癖を持っていて、そのせいで露骨に一緒に居る人へ迷惑をかけてしまってます。そういう大人げないところで不快にさせてしまってること、反省してます。
ときに考える行為が必要となるのは、当然ながら考えるその意義があるときなのであり、意義があるときとは脳をフル回転して分解、整理をしより良い行動を導ける、或いはより速くゴールへ辿り着けることがはっきりしているとき。そのときに限って確りと集中して頭を捻ることができればそれでよいはず。それなのにどうしても感情に振り回されて、悪いコンディションと悪い未来とを脳内で繰り返し再現してしまって、延々ネガティブなイメージの渦に溺れてしまう、というのが冒頭に書いたボクの悪い癖。この癖のおかげで救われている面もかなりあるけど、其の分反動の負担は相当大きなものになります。
この癖のために脳はイメージにとらわれ、意味無く働かされ続け、そしてそれによって疲れ切ってしまって、結果的には行動面で虚ろな風情になってしまったり、或いは寡黙になってしまったり、表情でも眉間に深い皺を寄せてしまったりしている。もしも身体を抜け出して自分自身の有様を客観的に確認することができたなら、きっとこの上なく感じの悪い素行のはず。その上、考えた気分とは別に、課題のそのもの解決へ向けては 1mm も進んでいないはずですし、疲れた脳では妙案も見逃すというもの。誰得とはこれのこと。
ですから、悪いイメージに考えを支配され、脳のリソースが消耗して、気が回らなくなり、表情や素行までも悪くなるという一連の誰得サイクルを抜け出すために、出来る手を尽くしたい。
たとえば適量の責任を負い適量だけ無責任になること、たとえば何事にも俯瞰を忘れず願わくば苦境もそれなりに面白がること、たとえば事態を本来よりも重く受け止めないよう注意すること、たとえば身近な人に自分へのディレクションを頼んでみること。そいった対処を意識できたら良さそうかなとか整理中。
またこういった頭の利用ガイドラインの他に、よく運動するとか、よく休むとか、早寝早起きするとか、閉じこもらない、人と会う話すとか、インターネットから距離をとるとか、普段読まない本を手にしてみるとか、普段手をつけない掃除に挑んでみるとか、そういう身のこなしの基礎的なことをピッと正すことも有効かも知れません。