高田稔「小さなことでいいから、まずは一番になりなさい。」を読みました。

実利的な内容を期待して手にしたところだったんですけど存外と啓発本でした。タイトルの言うことは尤もであるし内容面も左様の通りにという感じなんだけど、ボクの期待してた感じとはちょっと違ってしまいました。

「まずは一番に・・」しからば自信が得られよう、さらには上昇気流に乗れよう、という投げかけが本書が指し示す大まかな方角。がしかしボクは次の2つのことを思う。

てな感じで、折角ですからレビューをば。

皆、既に、小さな頃から色々な競争をしてきていまして。そこでは好きなこと嫌いなこと、出来ること出来ないこと、得意なこと苦手なことで、しのぎを削ってやってきてますよね、という前段が本書ではどっかにいっちゃったような空疎感があります。で、好き嫌い得手不得手の先天的、後天的要因をいずれも土俵の外に置いたところで、どういう個人であらねばならないかについて思春期の発達期間中に随分長いことすり込まれ、刷り込みの内の一部分を自意識化し、こうあらねばならないというようなステレオタイプな個人像を目指して猪突猛進してきているのが我々でありまして。それでなお社会に受け入れられず、苦しく、辛く、無能の装いで無能へ従うより他にないというコンディションに、そもそものスタートラインがあり、そこの方こそが課題であるはずなんだろうという具合にして思えたんですがどうでしょう。だからむしろ一番かどうかなんかいう俗なランキングに頼らずとも物事の本質的な価値を計ることができる成熟した感じの社会環境をどうやって実現できるかというような方が、目指したいところ。

もうひとつ別の問題としては、一番のポジションは、ぜーんぶひっくるめて飽和状態にあるというのがボクの私見というか体験です。本物の一番、ニッチの一番、身体的特性でたまたま一番という揺るがない一番群のほかに、自称一番や、この瞬間だけ一番、嘘で一番や、下駄はいて一番とか揺るぐ一群もまたあります。なぜそうなるかといえば、当然誰しもが本能的にか体験的にか一番の称号が持つ万能感は知ってるわけです。相撲で一番がニュースキャスターになる的なシーンなんかはメディアで沢山見てきてるわけですから、万能感を知らないわけがない。だから真実の一番は異常な競争状態ですし、当然虚偽の一番は横行しますし、虚偽の一番ですらも過剰なまでの自信を身につけることができるように、世相を見ると、感じられます。まそういうことは小学生あたりから、一番玩具を持ってる子供がクラスで一番の人気者とか、一番跳び箱飛べる子がクラス一番のいじめっ子とかねそういう類いを計算に入れなくちゃならないのが人の世です。仮にここまでの話がやや言い過ぎであるにしても、みんな自分が一番大切で、自分が一番よく考えてると思い、自分が一番会社のためになっていて、自分が一番冷静で、自分が一番聡明だと思って信じて何とか自分の支えにして、それで日々を生きてるわけです。だから大方の人は全員一番です。もうね、うんざりなんですよ、一番には。
といったわけで真偽のあやしいジャッジメントと自信家が蔓延しててなににつけ一番とみれば胡散臭さは否定できないというそこの市況をどうしてくれようか、というのがあります。だからボクはあまり一番であることに価値を置きたくないし、価値を置かなくて良い世の中になればいいなとか思ったりしてます。

といった感じでした。集中すれば 1 時間ほどで読了できるので、まあちょっと込み入ったマンガを読むような気持ちでトライしてみても良い。