リンダ・グラットン著「ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉」を読みました。
目次は下記。
働き方の未来は今日始まる
働き方の未来を予測する
第1部 なにが働き方の未来を変えるのか?
第2部 「漫然と迎える未来」の暗い現実
第3部 「主題的に築く未来」の明るい日々
第4部 働き方を“シフト”する
未来のために知っておくべきこと
未来の社会と労働環境はこんな風になるはずですよ、という示唆を主題としたものになっています。「フラット化する社会」あたりと類似するテーマ。
文体は少々冗長で、読み終えるのに結構長い時間を食ってしまったんですが、書かれている著者の未来予想については概ね納得でした。納得というのは少々語弊があるか。本書の著者のように冴えた頭で体系立てて考えてはいない、整理もされてない。が率直に言って、このまま企業の価値基準を中心とした社会がこの先何十年、というかこの先十何年も保つとは思えない、という風に感じ始めていたところ。身をもって。
労働として提供する価値、仕事から得られる価値、物質的価値を生み出す取り組みの内容、就労上のルール、人事制度、ほか各種マネジメントシステム、そして企業内文化、社会人文化、国内文化、広く各国の文化。従来固定的に感じられてきた社会で共有されてきているところの価値基準や価値判断は実際のところこの先の世の中では劇的に陳腐化するんじゃないだろうか、というか、既に腐り落ち始めてるんじゃないか。
相対的に評価して真っ当に、小さな日本の小さな会社の小さなプロジェクトに関わり続けてきて、はーもーこれっぽっちも埒があかねー!と思い続けて生きているのです。小さな会社のビッグな制度。駆け出しの会社の過大な射幸心。一向的を射ないサービス開発方針。成長の歯車とはかみ合わない人事考課制度。競合はいないといい、当社サービスは独自性が高いと自負を語り、社長はおじいちゃん、部長は偏狭かつ手柄泥棒、係長は日和見、現場は新しいスキルセット習得を求められないよう努めて静かに過ごしてる。結局のところ誰も外の社会の価値のありようにはほとんどなんの興味も持ってないし、身を置く最小限のコミュニティの中で最大限の高評価を得ることと、払う労力を最低限にすることばかりに腐心してる。そんなとろにはワークも無ければシフトも無い。もーぜんぜんしっちゃかめっちゃかなんでであります。
特別なスキル、専門的な知識、独自の研究テーマ、そういったものを備えるチャンスがない業種、職種、職務、業務に就いてしまった人たちは、これから先の大きく価値基準が変容する社会の中で、何を頼りに、どこに身を置いて振る舞ってゆくのが自分にとって最も自然で刺激的で飽きず持続可能なのかについてそろそろ真剣に向き合い始めた方が良い。
ボクたちの世代は、年金と退職が無い、終わりなき労働者であるかもしれないわけだから。
リンダ・グラットン氏のウェブサイトは下記。
Home – Lynda Gratton http://bit.ly/Uji59v