他人のアイデアを聞ける人、聞けない人。何が違うんだろうかと疑問を持っていたんですが、偶々答えらしきものに気づく機会を得ました。そこで見えたのは、アイデアを聞ける人は自分にはアイデアが無いんだよと認めることができる人。アイデアを聞けない人は自分はアイデアを沢山出せると信じている人、というもの。
どちらか一方が良いとか悪いとか、或いは全ての場合に当てはまるということでは決してなく。でも、その辺の、聞き手側の自己認識が、聞くなり聞かないなりの態度へ影響しているんだということを感じ取ることができました。

無論、最終的には物事が実行され、アイデアが形を伴って達成され、具体的な成果を生みつづけるエンジンでなければ、これには一文の値打ちも無いわけです。これはとあるエリアでは非常に盛んに言われるところです(まあボク自身は全くそういう風には考えませんけど)。なのでアイデアが出せるも、聞けるも、その時点では井戸端会議以上の何でもなく、他人のアイデアに耳を傾けることができりゃあいいって訳じゃないんですけど、それでも耳を傾けることが出来るかどうかは、本人の肥やしになるかならないかと言う点や、あるいは協働で物事を薦めてゆく下準備としてなら、それなりの意義が認めらるところだと思います。

で。

で、井戸端会議中に、幾ばくか面倒に感じたのがアイデアの聞けない人の取り扱い。なぜ聞かないかといえば、上でも書いたとおり、本人が自分はもっと沢山のアイデアが出せるという確信に支えられてのものなんですが、聞けない人の出してくるアイデアは本当に品質が低い場合が多いです。と、経験的にですが、感じられます。これは議論の進行上からすると、よりにもよって・・という印象です。他人のアイデアに対して耳を傾けなかったり、揶揄してみたり、流れではないところで対案を示したり。少なくともノっけてゆくブレストをしない側の人間に限って、その出してくるアイデアは、当人以外の誰にとっても幸せをもたらさなさそうであったりします。あるいは手続き的にみてアイデア実現の可能性がほとんど全く担保されてい無さそうです。またあるいは、アイデアが実現されたとて運営母体にあまり利益が見込めなさそうであったりします。そして何より、本人が息巻いて言うほどの「数」を出して来てくれません。せいぜいがタイトル一発を、2、3件という程度です。悪くすると、1件。

何故そうなるのかというと、本人の過剰な自信か、もしくはアイデアと言う事柄について必要以上に軽く見ているかということに由来するだろうと思われます。この自信なり軽視なりに裏支えを得て、他人のアイデアを聞かないからこそ、数も質も不足するという事態に陥ります。だいたいからして人は、まず他人のアイデアに一度は巻き込まれて、その世界観を味わうことで優れた部分を知るに至ります。また知ることで、自分のアイデアの品質の足り無さに気がつきこれを高めるよう努め始めるように変身しますし、さらにはその変身と水面下での努力とによって他人のアイデアの優れた部分を(ほとんど瞬時に)察知できるようにもなります。耳を傾けない態度というのは、この一連のプロセス研鑽がすっぽりと抜け落ちた状態を導きます。これでは良いアイデアというのはなかなか出せるようにはなりません。だから結局、他人のアイデアの優れた部分に気がつけないままに、あるいは他人のアイデアの優れた点に興奮し相乗りの意思表示を示すこともないままに、そのアイデアはダメだ。そうではない。それより優れた100個ものアイデアが僕にはあるとかを言い始めます。そうして現実にはせいぜい2つか3つのアイデアの話を始めます。練度が不足してあたかも簡単に破綻する内容を、です。まあ実際、100個ものアイデアを語られても、それはそれでいい迷惑というものですが。

場の設定が純粋なブレストの場合には強いて非難がましく言うことはせず粛々メモを取りつつ、広がりを産みそうな関連性ある話題を振るばかりです。嗚呼この人はこういう趣味性、志向性の持ち主なんだなあという実りを得るのがせいぜいです。が、いざ実行へ向けた決断の場、審議を要する場合には、練度を高めさせるなり、軸の持ち方を考え直させるなりの新たな目的で、発案本人へ思考の粗をフィードバックするという作業的な必要が生まれてしまいます。発案者本人以外の人間がそのアイデアの背景にあるであろうマトリックスを瞬時に見極めて、埋め合わせて、どの部分がどうだからそのアイデアは補強が必要であるだとか、諦めるべきだとかしなくちゃいけないわけですが、これは聞き手としてか意思決定者としては、大変しんどいことです。そこに回り込ま(さ)れたその時点で、もともとの起案者から番付は外さなくてはなりません。残念なことです。

人の属性に関わらず包括的に見て、アイデアという語についての理解は疎らです。大半の人が場当たり的な解決策なり、断片的な思考の成果とでも呼ぶべきもの、ユニークな物事の捉え方の共有などのことを示していると捉えているはずです。その捉え方で一向支障の無い軽微な事態も多いともおもいます。が、ひとたび真剣勝負の場では誰だって、あたかも、知見と経験の裏付けに乏しい、練度の足りない思いつきの話を数多く聞かされるのはなんとも苦痛を伴うことです。この練度は、どんなに先天的に優秀な人であっても、その場でぽっと出せるものではありませんから、結局は普段から当該の事柄や自身の専門領域につてどれだけ真剣に思いを巡らせて、どれだけ時間と費用を割いて、どれだけ見識を深めて生きてきたか、その集大成がアイデア一発なんだということで捉え直すと、空疎すぎて苦痛な時間を避けることが叶うんじゃないかと思います。
ちょっと後ろ向きな言い回しになってしまったので前向きに言い変えれば、世にあるヒット商品も、心地よい優れたサービスも、格好いいデザインも、気の利いたコピーも、名著も、名盤も、名車も、なにもかも最初はたった一個のアイデアであったはずです、おそらく。だから、好機に立ち会えたのならその好機を少しばかり永続性ある幸せに転換すべく、アイデアを軽んずるべからず。とはいっても肩に力入ってもダメなんですけどね。

ともあれ。いまの自分のぽっとでの思考の断片という御輿の上に胡座をかくひとには、アイデアは期待できません。だって、その状態の人には解決するべき課題が存在してないのですから。解決課題が無いということは、その時点で既に解決当事者ではないということです。


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