Mubz snap

ちかごろは大変夢見が悪く、夜半、たびたび目を覚ますようになった。

日中は努めてコンディション良く爽快な毎日を過ごしているのだけど、ベッドで寝付く頃には調子は暗転。細く湿った洞窟の奥底にでも追いやられたような、そこを直ちに脱出しなくてはという焦りのような心持ちで目を覚ます。週の半分くらいはそんなだ。
一度目を覚ましてしまうとその後にはなかなか上手く入眠できないので、ベッドを這い出てしばらくリビングをウロウロして過ごすことになる。テレビをつけたり、消したり。ネットで愚にもつかない記事を読んだり。読まなかったり。が、結局は何をしても落ち着き処はない。暗い気持ちを誤魔化すことはできない。夕べ気がついた唯一の解決方法は、Kindle で内容の薄い少年マンガを読むこと。目に見えない力と、偶然と、友情とでかなりの強敵を撃ち倒してゆくそのストーリーに没入すると、その間だけ、ちょっとばかり洞窟の絶望的な暗闇から目をそらすことができるらしい。

一時的に気持ちが慰撫されるとはいえ、目をそらしているに過ぎず根治ではないことは言われなくても分かっている。

仮定ではあるけど、平生のなにかしらの小さな思い違いの連続の、その延長上の最果てに今自分が立ってるような、2時間ドラマの残り10分、荒々しい崖っぷちに追い詰められ佇む、やり直せるものならあのときに戻ってやり直したいけれどもう決して取り戻せない、ある種の諦めを覚えた犯人さながらの気分でいるのは、とても居心地が悪い。
正直に言って、忙しい平生にはそんな風には考えたことはなかったけど、実のところは、ここ一年間ほどはずっとそういう気持ちをどこか隠しながら生きてたのかもしれないなと、今更おもう。ダメの積み重ね、それに気づかないふりをする鬱積のような。いや、ダメなんかじゃないはずだと意地を張らなくちゃいけない意思と、予定ほどには上手くいっていないかもしれない現実との間で。

ある種、ただひたすら若さに任せているときには構わなかった、気にもならなかったようなことが、或いは他人が間違ってるとしていればよかったことが、今じゃそうはいかない。たとえ宇宙、社会が、他人がアホであれバカでれ乱数であれ、宇宙相手にそれを唱えたってなんにも意味なんかない。唱え続ければそのうちいつか環境が変わるなんてことは、ない。
得るべき環境を得ていないなら、それは考え違いの連続だったと言うことにしかならないし、得るものを得るためには今自分を変えるよりほかに選択はない。その辺の法則は、僕がオンギャーと言ったその瞬間からそうだったのかも知れないけど、気がつかなかった。残念だけど。ようやくここにきて、そのことについての捉え方が180度逆になってきたんだとおもう。
今爽快に走れている実感が得られず、そのことに苦痛を覚えるのなら、その原因はまず間違いなく自分の側にある。これまでの自分の積み重ねにある。考え違えの積み重ねと言い換えてもいい。

このどうしようもない心持ちに対する唯一の救いは、まさに僕が夜中目を覚ましたその時に、隣の枕で口を半開きにしてスピーと寝息を立てている家人がいるということ、たったそれだけだなと深夜から明け方にかけて考えた。
この隣のスピーを、この先もずっと聞いてられるためにどうしたらいいのかだけが事に当たる手がかりのような気がした。社会がどうでも、自分がどうでも、信念が、正義が、好き嫌いがどうでも。そんなことはこのスピーとは金輪際関係がない。関係の持ちようもない。金輪際関係の無いこのスピーを維持できるかどうかは自分次第なんだなと思うと、なんとかかんとか気持ちを保つことができた。

過去の人たちへ手向けるものも、今の自分へ報いることも、それなりに大切かもしれないけど、未来のスピーのために何ができるのか、ただそれだけが、この先の有り様の手がかりになるような気がした。
もう、なんでも構わんよ。形も見たくれもどうでもいい、自分かどうかもどうでもいいよ。納得できるとか納得できないとかそういうものも全然関係ない。ダサくて結構、クサくて結構。ハゲてて結構。鼻毛で結構。メタボで結構。スピーがあればそれでいいんだから。

ただ 1 個を維持するために残りの 99 個は捨ててしまう。そうやって、皆、押しも押されもせぬ立派なオジサンになっていくんだね。ナルホドね。


おじさん図鑑