Mubz snap

今年いっぱい、がんばったようなそうでもないようなだけど、なんだか無事にケーキにありつくことができました。しかも今年は24日が祝日で、多くの人が愉しんだんだろうなという印象。実際都内の道路が空いてたしね。家でホクホクしてたことでしょう。

そういや、クリスマスキャロルの世界では12月25日は街のみんなが仕事の手を止めて、クリスマスを祝う世界観だったはず。25日は仕事しないで祝う日ってことなのかしらとうっすら思う。するってーと、最低でも365分の1日はくらいはマネーとかディールとか資本主義的ではない世界観で脳内リフレッシュかけて暮そうぜってことなのかしら、なんて異国の祭りについてのディズニーアニメを観て、というか人を信じず金金してるスクルージさんが隣人愛に改心する模様をみて、そういうことなんだろうナと解釈してたんだけど、実際の訓示的な意味ってのはどうなんだろう。

で、今年はケーキがよく売れたとか報道していて、いやま実際家も多分に漏れず美味しいケーキを戴いたわけだけど、クリスマスだってんで気張ちゃって結局よく金を使っちゃうんだよなぁと。酒買って、ごちそう買って、飾り買って、ケーキ買って、プレゼント買って(ああこれはサンタが、だけども)。無論金を使うという直接的なことだけじゃなく、その水面下では、あの人は何に喜んでくれるんだろうかという喜ばせの棚卸し作業にけっこう思い悩んでたりもするし、そりゃそれで普段には無いワクワクなんですが。でも結局使っちゃう、金を。

だからどこかの外道が言うみたいに、幸せは金で買えるんだぜ、ってのもまんざら間違いでもない。プロセスの一部を言っているなら間違いではない。自分自身に立ち返って、施しを受けて涙する幸せと、施しを与えて得る幸せとの二者択一が目の前にあったなら、個人的にはそりゃもう断然与える側の方でありたい、そうなりたい。というか他人の心遣いにむせび泣くということが空恐ろしい。素敵なんだろうけど、その日がやってくるのがホラーばりに怖い。泣かされたくない。だから結局、364日めいっぱい働いて、ズルをやり、下衆をやり、謀って、陥れて、自分が使うよりほんの少し多めの銭つくるってことが、施しレースのポールポジションなんだってことになっちゃって、それはそれで世知辛いなとか思う。
仮にそのレースが階級別に整理されてて、金を盛大に使うことで喜ばせを獲得する階級と、心遣いと知恵で喜ばせを獲得する階級とがあるとしても、それでも尚、その先には無差別級があるので、喜ばせも総合力なんだなとか。そうなると、やっぱりリソースが潤沢な方が試合回数にも恵まれるし、対戦相手にも恵まれる。なにより練習場のスケールが違う。結果として練習と場数と規模の経験が、より熟れた仕事と比例するという面もありそうだとか思う。だからなんかオレ来年も身を入れて頑張らなくちゃなと思う。なんの話だか、これ。

ともかく我が家は今年もこの上なく幸せでした。みんながそうだと更にいいね。メリークリスマス。


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