意識なり無意識なり、あるいは身体なりの何かしらの作用で以て、一瞬にして精神的な緊張状態を場に最適なものにできたら、なにかにつけとても素晴らしい成果が得られるんじゃないかなって考えることが、最近度々。
先に結論を言うと、そんな方法はシランわってことなんですが、是非知りたい。
世の中には、傍目に見てて、なにかと絶好のコンディションでババーンと現れて、格好良くアクションする人ってのはいるものでして。テンションのデフォルト値がかなーり低いところにある僕なんかからしたら、それはとても羨ましいこと。
停滞するテンションを、瞬時にズバンと高めることができれば、あるいはテンションのベースラインを日常的に高めに構えるかできさえすれば、こうなんというか怠惰で緩慢とした自分が払拭できるんじゃないかとか思います。
で色々と考えてみたんですが、ギュインッ!とテンションを高めるというのは、実は脳みそのクセの問題が大きく関わってるんじゃないか、と思えてきました。普通はやらない、やりたくないようなこと。たとえば夕日に向かって叫ぶとかそういう。喧嘩して原っぱに寝そべって笑うとかそういう。そんなことをですな、恥ずかしげを寄り切って、とりあえずやる。おもいきり大きな声出す。おもいきり早くしゃべる。他人のことをおちょくる。自分のこと嘲笑する。そういう時間内により多くのアクションを盛り込むような、低いテンションでは熟すべくもない活動への馴れといえばいいのか。
そもそもそういう手のことを実行するには、まず最初に気合いが必要。気合いって何だよということですが、とりあえず一度心に(自分自身望まない、場合によって死んでも望まないような、いや実際死ぬくらいなら望むんだけども、そんなような)波風を立てる。可能ならマックスまで。
マックスまで恥ずかしい気持ちになるアクションをしてみるとか。マックスまで腹を立ててみるとか。マックスまで(許してくれる人へ)迷惑をかけてみるとか。マックスまで何かに憑依されてみるとか。まあとにかく俗に言うはた迷惑な、あるいはバツの悪いようなことこそを、全力でやってみる。
そうして一度やると、二度目にはちょっとした馴れが生まれ、三度目にはもうその行為の意味を問うことを忘れ、四度目にはやや快楽を覚えて、五度目以降は当然のこと、癖として定着してるという。果ては末期に至っては第三者もこのテンションを臨んでいるはずだという倒錯的な思考にまでたどり着くという具合で。
なんだかしらないけど電話してみたとか、メアド1,000件持ってて全員友達と言い張ってみるとか、今飲んでるから今から来ない?と強引に誘うとか、とにかく衆目を集めてからズボン脱ぎたいとか。もう関わる全員の冷笑が見たくて仕方ないという次元まで到達するのかもしれない。とりあえず暴れたいだけあばれて、本人だけが大爆笑、大満足して、それでしめくくるという。そんなことが出来るようになった頃にはもう自他共に認める立派なハイテンション野郎なのかもしれない。
いや概ね冗談なんですけどね。ただ、テンションをコントロールできるようにはなりたいです。結構真剣に。特に思考を繰るとき、アイデアを練るとき、物を作るとき、最良のテンションで取り組むことができるかどうかでその出来が左右されるのは見えています。ここというときのテンションは深さを生み出します。結果側からみても、とことんまで煮詰まっていない思考結果、アイデア、制作物は無価値な場合が多いです。真の回答ではないという意味で無価値。
本質的には精神的、心理的な作用に関するものですから、要因は全て脳の化学伝達物質と電気信号のなせる技のはずです。そういう脳内のやりとりの最良の作法を身につけることができたなら、そりゃ強いはずです。身体が健康、脳器質的に健康、心も健康、外部環境も健康。そうやって健康に包まれていれば、自ずと、良いテンションが獲得できるだろうなとか、思います。分からないなりの結論づけですが。考えすぎず、反省しすぎず、気張らず、怒らず、朗らかに、恨まず、依存せず、期待しすぎず、望む方角へ。たまに羽目を外す。たまにおもいっきり身体を動かす。そういう感じなんですかね。よし年初っぽい。