岡田尊司著「愛着障害~子ども時代を引きずる人々~」を読みました。

精神医学を専門とする著者が、乳幼児期の愛着のありようとその将来に対する影響について考察を綴った一冊。
一時、大人の発達障害が大変盛んに言われていた(今もかな)のだけど、この発達についての障害の更に手前に、愛着の問題があるという風にしています。領域内の研究成果については全く知りませんが、ざっと読んだ限り、おそらくそうなんだろうなあという納得感は得られます。

頭からいきなりですが、巻末にある全45項目の質問紙「愛着スタイル診断テスト」を実際にやってみました。結果「恐れ-回避型」だそうです。惨憺たる結果と思ったほうがいいのかしら。なんかややショックです。なんて日だ。まあ確かに、本書が気になって手にしてる時点でなにかしら感じるところはあったわけですけど。どうした、オレ。結構健気に渡ってるんだぜ?安定型のはずだぜ?

とはいえ、本書の序文にある

なぜ、人に気ばっかりつかってしまうのか。なぜ自分をさらけ出すことに臆病になってしまうのか。なぜ、人と交わることを心から楽しめないのか。なぜ、本心を抑えてでも相手に合わせてしまうのか。なぜ、いつも醒めていて何事にも本気になれないのか。なぜ、拒否されたり傷つくことに敏感になってしまうのか。なぜ、損だとわかっていて意地を張ってしまうのか。

No30
のとおりですが、生きてく上での「自分てなんでこうなんだろうか?」は誰しもが平生を生きていて苛まれるところだとおもいます。反対に上記の引用のどれか一つすら感じたことの無い社会人なんてあるのだろうか?いやない。そう思えます。

なので実際のところ、僕に限らずアナタに限らず、社会的な生活を営むあらゆる人間が全て満たされながら欠きながら過ごしてるわけですから、みんなが凸凹しながら互いの凸凹を相性として利用しながらなんとなくギリギリうまく回ってるようなもんが社会でしょうと解釈してみれば格別に気に病むようなことじゃない。はず。

もすこしいえば、なんで自分はダメなんだロ?って疑問は、「ダメ」の内容にフォーカスするよりも「なんで」の部分に目を向けることでやや前を向ける気がします。
なんでに目を向けたところで著者は、後天的な要因だけじゃなく先天性の遺伝的要因の存在もこの愛着障害へ影響していることを指摘しています。必ずしも環境が全て、生い立ちが全て、親の慈悲(無慈悲)が全てじゃないんです。じゃーしょうがねーと開き直って、そのように生きてみる選択を、自覚的にするって可能性もあっても良いんだと思います。
そういった意味では、書中でスティーブ・ジョブズ、川端康成、バラク・オバマ、ビル・クリントン、谷崎潤一郎、夏目漱石、太宰治、ルソー、ヘミングウェイなど創作の世界や、社会政治、経済の分野で殊更の活躍を見せた人物の人生の背景にあった(であろう)愛着障害の課題が例として示されています。

何らかの息苦しさと隣り合わせで生きてかなくちゃいけないのは、なんだろう、たとえば喘息とかといっしょのようなもんと思えば、そりゃそこにはそれなりの生き方と幸せ、それにならではの視座があろうということでいいんではないかとか納得します。どうだろう?

特にどんな人が読んどくと良いかというと、自分自身に疑問・興味がある人よりもむしろそのパートナーの人にとって価値がある気がしました。彼氏、彼女、パートナーの着想と行動と自分へ向けられた要求のことが理解できない、疑問だ、謎だ、不快だという風に感じてる人は結構多いと思います。そいった人が本書を読んでみると、なにかしらその疑問を解消する糸口がつかめるかもしれないと思います。
あともちろんこれから出産予定とか、今まさに新生児をだっこしてるお父さんお母さんは知っておいたほうがいいとおもいます。赤ん坊がビャービャー騒ぐその行為の背後にある意味合いを喩え理屈だけでも知っておくと、色々と受け入れやすくなるはず。

余談。
テレビドラマ Heroes でいったら、主人公のピーターはちょっとそういうニュアンスのところがあって、ピーターの兄ネイサンは対照的に愛着障害とは無縁な感じかなとか、思いました。マシオカは・・・ここでは論外。


愛着障害~子ども時代を引きずる人々~ (光文社新書)