井戸に蛙がありまして。

井戸の中を自分の考える正しそうな理屈でいっぱいに満たしてしまって、そのいかにも歪で、自分を騙すのに正しそうな理屈に身をヒタヒタにひたしながら、その満々湛える理屈そのものに溺れ、もがき、まさに息も出来ないような状況になってしまっています。

蛙が言います。「どうにも息が苦しいんだ、オレを助けてくれ。」

求められた僕は「井戸の中を満たすその理屈を一切合切抜いてしまえばいいんですよ。」といいます。「溺れ、もがき、呼吸すらもままならなくなってしまったってことは、その理屈が良いものでなかったってことなんだから。もったいないことも無駄なこともないんです。」
「息の詰まる理屈を捨てれば、無理に背伸びをしなくても、また楽に息が吸えるようになりますよ。」

けれど蛙は、理屈を捨てることを恐れています。自らが理屈を否定することで、小さく閉ざされた井戸の中で、王でいられない日を迎える、そのことを恐れています。「井戸の中で、オレは正しい。そしてそれは井戸の外でも同じはずだ。井戸の中で、オレが王だ。外へ出ても、オレは王のはずだ。」と。
一度背伸びを辞め本当の身の丈を知られてしまったら井戸の中の他の生き物とどこもかわりやしないことが周知になってしまう。そうしたら王ではいられなくなる。そのことを恐れています。背伸びをしてきたその努力が水泡に帰してしまうと恐れています。

「・・・。」僕は問います。「それが正しいかどうか、井戸の外の世界を見に行きましょうか?」「井戸の外の世界の話を、少しばかりお聞かせしましょうか?」「外の世界では、出来るだけ誰もが溺れないように、出来るだけ皆が幸せなように、皆が互いに理屈の高さを調整して過ごしてます。」「その調整の方法はですね・・・」

「うるさい。オレは今息が苦しい。さっさと、オレの足下に下りて、理屈の中に潜って、オレが水面から鼻先を出すための台座になってくれ。外の世界の話は、その後で聞く。」

プライドの問題、欲得の問題、人生観の問題、権威主義的意識の問題や、社会的な役割の違いの問題、それに感情的や理論的な問題、そしてスキル的な問題で、あるいは短期記憶的な問題で。
話したいことの全てを上手に纏めて、相手に含ませることができない。この問題は、一体全体どう解決したら良かったのか、皆目分からない。今の僕じゃどれだけ考えてもこの台詞にしかゆきつかず、そのことが残念で、また悲しい。

「・・・。それでは、ご機嫌麗しう。井の中の王様。」


わかりやすく〈伝える〉技術 (講談社現代新書)