まったく別個の、二つの出来事。一方はとっても幸せなこと。もう一方は失意。
とっても幸せというのは四人で集まって美味しいピザを食べられたこと。まあ普通に楽しいです。それに、あの二人は本当に絶妙バランスでなんとも素敵だなあなど。
失意というのは、また別の人との間の出来事で、なかなか埋まらない溝をこれでもかと実感したこと。同じ人間同士だからなんとかなるとか、そういうわけにもいかないもんですなあ。戦争が絶えないわけです。
こんな日ってのも、あるんですね。まあ、あるか。あるよ。あるさ。単に、ちょっとばかし複雑な日ってなだけですはい。
でも好都合なことに、不本意なことなんてのは案外あっさりツルリンと忘れてしまうものだし、幸せの記憶は長らく保つもんでありますね。本当に善くできているものですよ、人間は。
それでもって結局のところ総合するといい日だったなできちゃう。そういうふうに処理ができるってーことはつまり、まだまだ全然余裕があるってことです。いやまこれが不本意2連発だったりしたのなら、1週間くらい凹むのかもしれませんが。
とはいえ。敢えて放つマッパの気持ちが、妙ちきりんなプライドを満たす餌として消費されてしまったり、素直な方角を意識的にねじ曲げられたり、そういうのはとても残念なことです。いいけどね、べつに。此の手のには馴れってのもあります。練習れんしゅう。
べつに練習だからってわけじゃないけど、その残念は、気持ちの内部に鉛の重さみたいな感覚を残してしまうもんです。ズーンとくる乳酸のようといってもいいか。まあそこはそこ。トレーニングよろしく、もう一回といわず二回、三回ズーンとくる追い込みをかけることでかえって鍛えられたりするやもしれない。知らないけどね。