Mubz snap

あまり沢山のことを考慮に置くと、その広大な考慮の範囲の中にある別の事柄の問題に気持ちをもっていかれてしまって、肝心要の手元の一個のことすらももうイヤになってしまう。非常に真面目な性格の人に、多く見られる傾向じゃないかな、と推察しています。

真面目で、能力が高いと、どうしても組織全体を俯瞰で見て、自分の位置と、その位置からの動きの正当性を確かめようとすると想います。そうやって俯瞰で眺めると、あっちこっちで部分的な不整合が数多く見つかるはずです。そのことをなんとかしたい衝動も自然と芽生えます。ええ、真面目だからです。能力もあり不整合の解決策も容易に浮かぶはずです。

が、そういうことの解決に挑んでも、容易には解決しません。何故か。それはわざと不整合であったりするからです。なぜわざわざ意図的な不整合が残されているかというと、それはそこにいる「人」の問題であったりするからです。そうして、「人」が関わる問題というのはだいたいの場合、たとえどれだけ有能であっても組織のとある1名が、取り扱うべきテーマとはなりません。
そういったことで、真面目に健気に、問題へ「人」へ解決策をひっさげて働きかけをし、また周囲へ同様に運動をしますが、それが実るどころか、不思議と、自分の形成の方が不利になってゆきます。問題のたもとに人があるということは、その人が問題をままに残しておく組織内での力を持っているということとイコールなのですから、当然です。

組織の中で、そうした時間の過ごし方をしているうちに、肝心の自分の仕事と自分の成長が疎かになってしまっています。勿論評価も下げ続けます。あいつは、余所のことに気を取られて、手元がお留守だというわけです。
組織の幸せを真面目に考えて、能力で全体最適を目指しても、自分という極小の部分最適化がまったく上手くいかないのですから、悔しい思いをするはずです。採用を決めた上長も、残念に想っているはずです。

ですから、ある程度、状況に対して気楽に楽観的に構えて、ある程度経営に信頼を寄せて、ある程度他人のことは他人に任せて、ある程度絞れた視野で、とにかく何はさておく自分の手元の事を粛々と進め最高の仕上がりを目指して勤しむのが、良い意味で、適当な取り組み方だろうと想います。


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