ともすると一般的な社会人として競わされる物のうちもっとも重要なものは、生まれでも人脈でも仕事量でも速度でも責任感でも能力でもセンスでも知識でも努力でも学習力でもでもなんでもなく、単に我慢比べなんではないだろうか。ただ、ただ、頑として、そこから退かない。そういう手合いの能力。
これが世に言うところの成功と呼ばれるもの、組織内のポジションが高まり給料が高まることに関して最も出現頻度が高そうに思えるし、個々の例を想うにつけ相互関係も強そうに見えてくる。
景気の良いときはそれでよかったのだとおもう。其の昔、世には追い風が吹きまくっていた(と聞いている)ので、ただひたすら一所にしがみついて誰に何を言われてもまた仮に自分自身でオカシイと思っても絶対にそこを退かない底意地を発揮するだけで自動的に前へ進んだだろう。
だけど、いま現在というかもう20年もの間、景気に追い風はない。そのくせ昔からのムードでまだまだ退かない人への評価は高止まりしたままある。一所に留まって帆にしがみつく彼は愛社精神か根性か揺るがぬ想いかがあって立派だと見なす情勢は多分に残っている。なので、一向風など吹いてないのに、帆柱の袂に人が嵐をしのぐペンギンみたいに押し合い圧し合いたむろしていて、仮にちょっと遠巻きに風向きに注意を払い続けることによって正確に風の向きとタイミングが読めている者があったとしても、この人垣が邪魔をして、肝心の帆の向きを変える行為が許されないみたいな状況が生まれていやしないだろうかと想う。「俺たちには愛社精神がある。この会社をずっと支えてきた。辛いときも守ってきた。だから風さえ吹けばまたなんとかなるんだ」って言い合ってる。そんな心象。ここでいうところの「だから」は気分的においてみただけで意味的には成立はしていない。
まあ組織ってことそのものが長年かけて最適になるよう紡がれ続けてきた文化なのだから、10年20年そこいらで、そのあり方は是正などされやしないのだ。