米 Yahoo! による Tumblr の「買収」が決定したそうで。
「ウソでしょ。勘弁してよ。」というのが Tumblr ユーザーの直情なのかなと思いますがどんなもんでしょ。と思って検索かけてみたら、案の定。

Hell No, Tumblr Users Won’t Go To Yahoo! | TechCrunch
http://tcrn.ch/18aACdW

まあ、そんな感じの反応になっちゃいますよね。当然だと思います。誰だって自らの所属する(例えば学校の)教室のクラスメイト一式が一箱幾らで他所の学校に売却されることを好みはしない。扱いそのものを不当と感じることもありますし、変化への不安に抵抗と拒絶の反応を示すのは当然だとろうと。少なくとも歓迎はしないものだとおもいます。本件も(そして他のソーシャルネットワークサービスについても)そういうのとだいたい一緒じゃないかなあというのが個人的な感想。

過去、大手メディア、大手テクノロジによる関わりの成果としてソーシャルのサービスを成功させた事例がどれだけあるのか良く判りませんし(FBもtwitterも結果として大きくなったということで理解)、どちらかというと google+ とか、まるきりぱっとしない、あるいはしっくり来ない(けどテレビコマーシャルはすごく頑張る)サービスをぶち上げる、または運用のプロセスで魅力を削いでゆく結果となる、そういう印象の方が強いです。米Yahoo!で限っていえば Flickr のぱっとしない運用実績がある、と思ってます。個人的に。

とはいえ、ぱっとしたサービスを創始以来支えてきた創業者のゴールなり当座の糧を得るなりの目的意識とかライフラインとかも関わってくる判断ですから、そこに限って当事者ではない無料ユーザーというのは、さてどうしたものかといえば、諦めを持って惜しむ。これ以外に現状手だてはないのかなと思います。

今後のサービス運用の人的体制がどうであれ、大きな組織が絡むということは、文化的にあるいは管理的に態度と声の大きい側に寄せた方針に一定沿わなくてはいけなくなるのは自然なことでして、たとえばそれは、情報保護をどうするのだ?収益化をどうするのだ?無数の著作権・肖像権の怪しいコンテンツをどうするのか?ペアレンタル某をどうするのか?云々といった倫理的リスク回避と収益化への幅寄せのダイナミズムとして表出するでしょうし、それをハイハイ言ってやっていると、旧来TumblrのCGM側面を支えてきたエッジの効いたユーザーたちの「ここじゃない」感がブワーっと噴出せざるを得ません。じゃあってんで、彼らの転居先があるのかというと、広大なWebのどこかしらにはすでにその場が粛々用意されているのかもしれませんが、僕は未だその存在を知りません(知ってる人いたら教えてください)。少なくとも Pinterest や instagram ではないし、まして Fb や twitter でもありえないのでして。

そんなわけで。売り手よし、買い手よしで当事者たちは万歳。その後には、ただただ従来のユーザーたちの「困った…」がフワフワと残される。そういう図しか思い浮かびません。
もし万が一、そういうことにはならないというのなら、それはそれで素敵な事例が誕生することになるのですけども。どうだろう。


ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である