Mubz snap 喫茶店

喫茶店での一コマ。

背後の席、生保販売らしき婆二人が喧しく話している。職場の同僚の誰がけしからんとか、上司の誰がなってないだとか。そういう手合いの話。

一方の婆が感情たっぷりに抑揚をつけて不具合をまくしたて続けて、もう一方が相づち係という図式。話し手の婆は息も切れ切れに同僚の上司の職場のけしからん事例を一個一個、具体的に挙げて、延々言う。

全国各都道府県市区町村、どこででも見ることができる、よくある様だとおもう。

詳しい状況はよく判らないけど、婆の身の回りで起ることというのはなにからなにまで、婆の眼鏡には適わないことばかりのように聞こえる。話の大筋は同僚の佐々木さんは最近直帰ばかりで不真面目であるとか、あるいは上長の井上さんの管理がいかに滞っておるか、またそれが如何に無責任なことであるか、切々と唱い上げる。
聞き役の方は十個に一個くらいの割合で、一概にけしからんわけじゃない視座を挙げて万が一彼らの側に事情があるのかもしれないというような事で手短に応え、といって話し手の話をせき止めるでもなく理解を正すでもなく、ただ獅子脅しみたいにして相づちを続ける。

どちらにせよ。百歩譲ってそこに問題があるという認識が間違いでないのだとしても、残念ながら、そこに解決を模索する姿勢は見当たらない。ただ言うことで発散をしているに過ぎないと見る向きもなくはないが、もし発散しているのだとしたら、一般的に婆たちはなぜ同じ人の同じ問題を同じトーンで、毎日まいにち言い続けるのか。発散になってないからじゃないか。

起っている事態が如何にけしからんか、如何にけしからん事柄にアタシャ気がついているか、また如何に婆にとって被害規模が大きいか、そしてその被害の下にあって如何に長い期間アタシャ耐えたか。そうして最終的には如何にそれが故意的にもたらされた事態であり、如何にそこに情状酌量の余地を認める理由が無いかという詰めに話題は終止する。

ここまではいい。好きにしたらいい。ちょっと五月蝿いけど。
で、思った。

太古の昔、人間は力の強い男が猪かなにか獣を獲ってきて、力の弱い女がそれを共同体の皆に行き渡るように均等に分配していた。実入りが一定以上の量、またコンスタントにある場合には、共同体全員になるべく均等に行き渡らせることで、共同体は餓死や病死など減っただろう。そこにこそ婆の機能役割、存在の意義があった。のだとして。

だから婆には遺伝子レベルで「分配のスペシャリスト」を演じるれっきとした理由と必然がある。もっとえば、女は歳を老い婆になればなるだけ持ち前のスペシャリティが磨き抜かれており、したがって、不正や不均衡を是正する情熱を吐露し倒すことで、如何に優れたDNAの持ち主であるか、如何に磨き抜かれた技の持ち主であるかを、婆同士で競い合っているのじゃないのだろうか。鹿が角の大きさで力を誇示し、相手を威圧するように。すると角がぶつかり合って鳴るゴツゴツ音と婆の愚痴は同じ音色といっていいんじゃないか。

これが学説に照らしてどうかというようなことではなく、そういう視点にたって婆の解決策なき喧噪をやさしく見守るってことで、どうかな。と思ったって話。

それとも「ためをおもって言ってんだ」という主張をひっぺがしてまでして。そういう回りくどく芯を喰っていないやり方で、自分の相対的な地位の確保を目指す取り組みは本人が思う以上に周囲から見てて見え透いているし、あざとい行為に映ってしまって、それはたいそう流行らないことなんですよ、とはっきり教えたほうがいいのかしら。

いや・・・やっぱ無理だわ。口で勝てる気が全然しない。


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