猫を撫ぜるひとをみてふと過ったんですが、他人を喜ばせることだけに集中し、考え、実行するっていうのもいいのかもしれないなーと。今の時代はどうしても自分が満たされることに執着してしまいがちですから。だからこそむしろそこは真逆に舵を切るという。こういうの逆張りというんですかね。それとはちょっとちがうのかな。
時代はネット社会ということもあって巷ではブラック企業が言われたり、所得格差が言われたり、冷蔵庫が言われたりしてます。それって、善良な市民による法的なであったり倫理的な所感として至極まっとうな声であったり、理解不能ではない。のですがその反面で、倫理に悖る者は報いを受けるべきであるし、法に外れたものは裁きを受けるべきであり、で、そういうのをとことんまで突き詰めてゆくと、とどのつまりは地獄の閻魔様をご所望ということに至ってしまうところがある。それはつまり、地獄の厳格さをもとめるあまりに、自らこの世を地獄化しまうような面があるとおもう。
で。だからこそ、真逆が大切に感じられるのかな、と。計算高くかもしれないしそうでなくかもしれないけどそこはどちらでもよく、良い意味で他人との幸せの比較など頭から取り去って、良い意味で未来への不安などとは付き合わずに、単に人に喜んでもらえることに持てる英知をしぼり尽くして、そのアイデアの実行にあたりつづけたらならば。その先にはどんな世界が広がるんだろうか、とかなんとか。自己犠牲はいきすぎだけど、自己満足だけじゃないところで、思考して行動して、あとはもうどうなってもいいやーってなおおらかさで生きてく具合はどうだろうか。
すごく個人的に生きて、働いて、個人としての繋がりに向けて、喜ばせるに能うアイデアを練り続け、やりつづける。それってかなーり気分の良いことかもしれませんよ。あまり過剰に喜ばせに走ってしまうと、猫と同じように人も、逃げてっちゃうかもしれませんけどね。