嫌いなことだから避ける。というのは選び勝ちなひとつの選択肢です。が、同じ局面下で、そうではない選択肢を選ぶこともできます。
嫌いなことがあるこそ、まず嫌ってるその事柄をまるごとを包含して、嫌ってることを凌駕してみせるのが正解ということもあります。誤ったルールの中に身を浸して、そのルールにしたがって、なおかつ信じる正しさを証明するそのために勝負に勝つ、というイメージ。
お金を沢山持ったら勝ちの世界です。声がデカいことが勝ちの世界です。違法でさえなきゃ、見つかりさえしなきゃ、咎められさえしなければ、なにやってもいい世界です。誰もが膨大な量のコンテンツに消化不良を起こしてて、ことの上面を舐めるだけで背一杯。だからこそポップであることが価値とされ、その中身なんて誰も見てない・聞いてない世界です。
というわけなので仮に資本主義という暴力装置に腹がたつことがあるなら、であればこそポップの腕力で勝ってみせるのがまずは先決だったりするのかなとなります。で、万にひとつ勝負に負けたとしても、そこはそこ。自分の信じる正しさを否定することはないし、自分を信じることを辞めてしまう理由にはあたりません。不器用とよばれる程度の小さな問題で、信じるように生きることを棄権してしまうのは、だいぶ馬鹿げたことだ。