目標意識の高いひと、責任感の強すぎるひと、人一倍の努力家のひとたちに対して言いたい。

「続ける」ということを計算のうちに入れ、そのことを良く弁えて振る舞うことは、実のところ頑張るってことよりもよっぽど重要よ。
またこれと併せて、「続く」ように目標を下方修正をすることは、時として必要なことであって、負けでも悪でもないということ。
特に、向き合っている目標が個人ではなくて組織において執り行われるものである場合にはより一層、強く「続ける」ことを念頭にもつことはなによりも優先順が高いと言い切っておきます。

事前に定める数値目標を達成するために、極一時、我を忘れて夢中になって自分を捨ててほとばしる情熱で、ことへ打ち込むその姿はとても美しく、素晴らしく、それを見てる者の心に感動を呼ぶものです。それ自体否定するところではありません。というかむしろそのことを僕は良く判るし共感もします。だからこそ意識の高さ、責任感、努力などに背を押された刹那的な振る舞いは、非常に厄介な邪魔者となることをいいたいと思います。

おおむね、目標というのは単年度で達成されるものに区切られ分配されるわけですが、それ自体もまた計画と呼ぶべきものであり、一回り大枠の目標の為の小分けされた目標であるということを忘れてはいけません。

その認識の下にあって、目標の設定と達成が決して単年度に限ったことではなく、来年も再来年も10年先にも、組織が持続する限りずーっと存続するといういたって普通のコンディションをよくよく承知したとき、意識、責任感、やる気などという甚だ朧なものは、目標も計画もマイルストーンも狂わせ、また、同プロジェクトに従事する皆を疲弊させるばかりです。形ないもののために多くの犠牲が産まれます。だから、今年はたまさか長い長い目標達成の第一歩目でしかないのだ。先は長い。その設定全体のことをどうか忘れないでいてほしいのです。

長くながくとほうもなく長く、また幾度となく、また何階層もの入れ子構造で、ひたすら繰り返され続けるもの。それが目標の備える性質です。だからこそ冷静に、冷徹に、入念に、徹底的に事態を把握して「当然」「楽に」目標をクリアする「流れ」か「方法」を見つけ出す、そういったズルさを身につけて、継続的に断続的に実行し続けられる余裕ある運営を設計することこそが、要点です。

そういった要点に目を伏せまた(誰でも等しくそうであるところの)自らの無能から目をそらして、努力や根性や意識のありようや能力向上といった、計測できないものや感情論に逃げ出そうとしてはいけません。それはことに向き合って真摯でない人間のすることです。ましてや感情論に形がないのをいいことに仲間たる部下、後輩、若人、顧客、相手に罪を見いだそうとするようなネガティブなことをしてはいけません。それは人に向き合って真摯でない人間のすることです。

そのような惨めな人格を演じるくらいならば、むしろ「楽をしたくて楽を獲る」ことというのはよっぽどクレバーな振る舞いであり、評価されこそすれ、他者から責めさいなまれるべきことではありません。定める期間中に、目標水域のクリアが確信できたらその瞬間から仲間を「馬なりで流す」ということは決して怠惰と呼ばれるべきものではありません。そこに産まれた余裕を有効活用して来期へむけて更なる「流れ」を掴む、更なる「方法」を編み出す。そこのとに堂々と時間を費やすべきです。そのことに誇りを感じるべきです。

当人自身も含めて人間の意思などという形無いものは、一時的には鉄の様相を演出することはできたとしても、長い期間ずっと鉄の芝居を演じ続けることは不可能です。変わりやすく、移ろいやすいものです。百歩譲って万が一、当人においては鉄の様にあることを継続できたたとしても、皆がそうではない可能性はものすごく高いです。というかほとんど 100% の確率で誰も長い時間、鉄の男には付き合いたくはない。それは自然なことですし、責めるべき事ではありません。そんな当たり前の人間の性質を確りと心得て、仕切り段取りすることではじめて物事は全体として事前の計画に近い形で前へ進むはずです。

仕切り段取りの目安としてですが、目標の達成に対して必要な稼働率が 75% 未満なら中長期の継続性がなんとか見込めるはずです。もし稼働率が 90% 程なら今期の目標はなんとか間に合わせることはできるかもしれませんが来期には必ず一部の仲間は離脱して戦力低下を招きます。もしも稼働率が 100% なら当期上期を終えない段階でかならず仲間からの信頼は瓦解し、必ずプロジェクトは座礁し、絶対に目標は未達に終わります。

もしもこれを読んでいるひとのうち、100%設定の人があったら、今すぐに考えを改めてください。それは計画とも目標とも呼びません。
最初から継続についての認識と人間理解が誤っているのですから。

ちなみに。人間の集中力というのはもっても1時間程です。また人間は相当鍛錬を積んでもせいぜい2時間半くらい走ると限界がやってきます。人間の継続性とか耐久性というのは、そもそもそういう程度のものなのです。
だけれど、好奇心、興味・関心、ゆとり、自主性、自己実現への憧れさえ失わなければ 50 年間もの長きに渡ってひたすら昆虫の研究を続けることができたりするのもまた人間です。くれぐれも、そこには「頑張り」「責任感」「高い意識」などというものは関与しません。


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