Mubz snap ゲーム

誕生日の人おめでとう。集まってくれたみなさんありがとう。

で、ゲームですよ。わが家ではいまだ現役の Wii。しかもソフトは Wiiスポーツ リゾート。古っ。だけど、これが楽しい。ゴルフやって、チャンバラやって、一回マリオカートに流れてから再び、卓球やって、フリスビーやって、フリスビー・ゴルフ。それから再び卓球。

久しぶりに家庭用ゲーム機で遊びました。そこで改めて思ったのですが、こういうのでもなくちゃ世事から脳を解放する手段がないですね。雑多な世事から脳活動を解き放つ自分を許さない病的なストイックさなどもありますが・・・

たとえばヨーガや座禅でスッと瞑想状態に突入できる手練ならば、それをするに越したことはないですね。そうかもしれないけど如何せん僕、瞑想に到達できないですから。残念ながらどうやら生来の集中力が足りな過ぎるみたいです。ほんのちょっとの隙間時間があると直ちに iPhone の在処へと眼が泳いでしまいます。ただそこにあって動かず、じーっとしてるということに忍耐が効きません。小学生ばりです。

だからこそ。
昨今ではゲームなんかが立派な一つの産業になるんだな、きっと。巷の大勢の普通の人が、仕事に暮らしに将来に対して暗い気持ちを湛えていて、でもなまじ生真面目だもんだから鉛のような不安の予感から視線を外すことができなくて、年がら年中四六時中どこか気持ちが薄ら暗くて。とはいって、そういう気遣いばかり費やしても費やしても費やしても、暗い雲は去る訳じゃあないし、ア☆カ☆ル☆イ☆ミ☆ラ☆イにはとてもとても手が届きそうにもない。
それに未来の為に今を犠牲に生きるから当然今はつまらないし、未来の為に今を犠牲に生きるけど未来は特に明るそうではない。では何の為に自我を押さえ込んで今を忍んでいるのか良く判らなくなる。こんなんじゃ病気になっちゃいそうだし、或は、既に病気なのか。

というわけだからして。
逃避だと罵られても実際に逃避だったとしても、なんでも構わないからずっしりと重い未来の現実の束縛から、能動的に一時的に避難をすることが必要ということ。そういう予防医学の為の行いを、誰にいわれるじゃなく自己防衛的に本能的に、気持ちを解放する時間を得ている。一狩り行こうぜ!とかいって。

ま、今回のは偶々ゲームですが、他でも勿論いいとおもいます。先に挙げたヨーガでも、座禅でも。サーフィンでも、バスケでも。ゲームでも、漫画でも。絵画でも、旅行でも、映画でも、首都高でも。とにかく好きで、夢中になれて、ほんの一時、頭の活動を暮らしや仕事の問題直視作業とか問題解決的作業とか、未来の獲得へ向けた作業的活動から解放する。今やってる行為そのものにだけ、脳の活動を集中・極小化する。そのことが安息になるんだなとか、思いました。なぜか急に。

ゼルダの伝説 風のタクト HD